アグリッパ2世とは? わかりやすく解説

アグリッパ2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/09 03:07 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アグリッパ2世
אגריפס
在位 44年 - 100年

出生 27年
死去 100年
ローマ
王朝 ヘロデ朝
父親 アグリッパ1世
テンプレートを表示

アグリッパ2世27年頃 - 100年頃)は、名をマルクス・ユリウス・アグリッパ(Marcus Julius Agrippa)という古代ユダヤの領主。父はアグリッパ1世ベレニケとドゥルシラの2人の妹がいた。ローマ帝国と親密な関係を維持して、ローマ派遣の総督と共にユダヤを統治した。『使徒行伝』ではアグリッパ王と呼ばれている。

概説

アグリッパ2世は、ヘロデ大王の曾孫に当たるが、第1次ユダヤ戦争の際、ローマ軍と同盟してヘロデ大王が造営したエルサレム神殿を破壊したことが知られている。なぜなら、アグリッパ2世の血には、敵対するハスモン朝ヘロデ朝の血が交じり合っているからである。曽祖父は、ハスモン朝を蹂躙して乗っ取ったヘロデ大王、その妃である曾祖母は、ハスモン朝の皇女マリアムネ1世英語版。そして祖父が、ヘロデ大王によって処刑されたヘロデ大王の王子アリストブロス4世英語版、その妃がヘロデ大王の妹サロメの娘ベロニカ英語版。そしてその二人の間に生まれたのが父アグリッパ1世(紀元前10年 ‐ 紀元後44年)である。

アグリッパ2世はクラウディウス帝の宮廷で育った。伯父のヘロデ2世英語版(アグリッパ1世の兄)の死によって48年エルサレム神殿の監督職を引き継ぐが、クラウディウス帝の引き立てでカルキスの四分封領主となる。のちにカルキスの代わりに、フィリポとリュサニアスの総督領主となる。ユダヤ戦争時には、後に皇帝になるウェスパシアヌスを、2000人の兵を貸与して支援している。その意味でユダヤ教徒ではあっても、彼は完全なローマ人であったといえよう。100年ごろ、トラヤヌス帝治下のローマで死去した。ヘロデ大王に始まる「ヘロデ王朝」に連なる最後の支配者となった。

新約聖書の『使徒行伝』25章~26章によると、アグリッパ2世は、妹のベレニケと共に総督フェストゥスをカイサリアに訪問した時、とらわれの身であったパウロの話を聞く機会を持ち、その言葉に感銘を受けたという。これは59年ごろの出来事だと考えられている。

一方でアグリッパが常にベレニケを帯同していたことは、ユダヤ人たちに近親相姦の疑いを常に抱かせることになった。さらにその妹ドゥルシラは総督フェリクスの妻であった。

関連項目

先代:
アグリッパ1世
ヘロデ朝領主
44年 - 100年
次代:
ローマ帝国直轄)




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アグリッパ2世」の関連用語

アグリッパ2世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アグリッパ2世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアグリッパ2世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS