ヤロポルク・ヤロスラヴィチとは? わかりやすく解説

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ヤロポルク・ヤロスラヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:40 UTC 版)

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ヤロポルク・ヤロスラヴィチ
Ярополк Ярославич
ノヴゴロド公
ヤロポルクのノヴゴロドへの到着とノヴゴロドからの出発
在位 1197年

死去 1212年以降
配偶者 ヴァシリサ
子女 フセヴォロド
家名 リューリク家
父親 チェルニゴフ公ヤロスラフ
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ヤロポルク・ヤロスラヴィチロシア語: Ярополк Ярославич、? - 1212年以降)は、チェルニゴフ公ヤロスラフの子である。チェルニゴフ公国分領公ノヴゴロド公:1197年。聖名ガヴリイル。

ルーシの年代記レートピシ)には二回の言及が見られる。すなわち、1197年ノヴゴロドを領有していたという記述と、1212年の項である。1212年には[1]、ヤロポルクは兄弟のロスチスラフと共に、チェルニゴフ公家のフセヴォロド(このときキエフ大公)を攻撃したムスチスラフの軍の捕虜となっている。

ヤロポルクの妻の名はヴァシリサといい、子にはフセヴォロドという人物がいた。また一説には、チェルニゴフ公アンドレイ(1263年没)はヤロポルクのひ孫であるというものがある。

出典

  1. ^ Горский А.А. Русские земли в XIII—XIV веках. Пути исторического развития

参考文献




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