ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ_(スノフスク公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ_(スノフスク公)の意味・解説 

ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ (スノフスク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:52 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

Женитьба Ростислава Ярославича на Всеславе.png

ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ
Ростислав Ярославич
スノフスク
ヴィシゴロド公
在位 スノフスク公:1181年 - 1203年
ヴィシゴロド公:1212年

出生 1171年
死去 1212年以降
配偶者 フセスラヴァ・フセヴォロドヴナ
家名 リューリク家
父親 チェルニゴフ公ヤロスラフ
母親 イリーナ
テンプレートを表示

ロスチスラフ・ヤロスラヴィチロシア語: Ростислав Ярославич1171年 - 1212年以降)は、チェルニゴフ公ヤロスラフとその妻イリーナとの間の子である。スノフスク公:1181年 - 1203年、ヴィシゴロド公:1212年。聖名イヴァン。

ロスチスラフはルーシの年代記レートピシ)上において、2回の言及がみられる。1回目は、1203年にチェルニゴフ・オレグ家(ru)の諸公とともにキエフを攻めたという記述であり、2回目は、1212年にムスチスラフによって、兄弟のヤロポルクとともにヴィシゴロドにおいて捕虜となったという記述である[1]

妻はウラジーミル大公フセヴォロドの娘フセスラヴァであるが、子に関する記述は残されていない。

出典

  1. ^ Горский А.А. Русские земли в XIII—XIV веках. Пути исторического развития



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ_(スノフスク公)」の関連用語

ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ_(スノフスク公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロスチスラフ・ヤロスラヴィチ_(スノフスク公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロスチスラフ・ヤロスラヴィチ (スノフスク公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS