ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチの意味・解説 

ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 01:18 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ
Ростислав Всеволодович
ペレヤスラヴリ公
在位 1078年 - 1093年

出生 1070年
死去 1093年
家名 リューリク家
父親 キエフ大公フセヴォロド
母親 アンナ・ポロヴェツカヤ
テンプレートを表示

ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチロシア語: Ростислав Всеволодович1070年 - 1093年)は、キエフ大公フセヴォロドの末の息子(ウラジーミル・モノマフの弟)である。ペレヤスラヴリ公1078年 - 1093年。

生涯

1078年、伯父のキエフ大公・イジャスラフチェルニゴフ付近の戦い(ru)で戦死すると、父がキエフ大公位を継いだ。兄のモノマフはチェルニゴフ公となり、ロスチスラフは兄と共にペレヤスラヴリ公国領を統治した。また、テュルク系ポロヴェツ族との戦いに参加した。

父のフセヴォロドは晩年病に倒れるが、その時にポロヴェツ族による新たな襲撃がはじまった。1093年、フセヴォロドが病死するとキエフ大公位はトゥーロフ公スヴャトポルクのものとなった。ロスチスラフはスヴャトポルク、モノマフらと共にステューフナ川の戦い(ru)に参加するがポロヴェツ族に敗北し、退却の際に溺死した。

参考文献

先代:
フセヴォロド1世
ペレヤスラヴリ公
1078年 - 1093年
次代:
ウラジーミル2世モノマフ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ」の関連用語

ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS