IBMによる買収と消滅
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「シークエント・コンピュータ」の記事における「IBMによる買収と消滅」の解説
1999年7月 シークエントとIBMは合併協定の締結を発表し、合併後のIBMによるNUMA-Q販売とNUMA技術のIBMサーバーへの取り込みを表明した 。同年9月にはIBMによるシークエント買収が完了した。2000年5月にはIBMは自社ブランドで「IBM NUMA-Q 2000」を発表し、更に2000年11月にはNUMA-Qの上でメインフレームのOS/390環境を実現するミドルウェアを発表した。そして2001年にはIBMはNUMA技術を採用したUNIXサーバーの最上位モデル IBM pSeries 690 (通称Regatta、POWER-4搭載、最大32-WAYの大規模SMPサーバー)を発表した。なお2002年 NUMA-Q 2000 の後継である xSeries 440 (x440、Xeon搭載、最大16-WAYの大規模SMPサーバー)を発表したが、オペレーティングシステムとしてDynixはサポートされなかった。 2002年、サン・マイクロシステムズはIBMがNUMAベースのx430システムについて沈黙していることに対して公開質問を行った。IBMはx430のリリース計画は破棄されたことと、シークエントとIBMがそれまでに販売した10,000以上のシステムのサポートを結局やめることを発表した。2002年、NUMA-Qとシークエントは(独立した製品系列やチームとしては)完全に消滅する。IBMがシークエントの本拠地であったオレゴン州ビーバートンで2回にわたってレイオフを実施したのである。2002年3月30日の『ウォールストリート・ジャーナル』 (WSJ) の記事「IBMがシークエントで得た教訓」によると、 IBMがシークエントを買収したとき、…それ(シークエント)は規模とリソースが足りないためにUNIXサーバ市場でサン・マイクロシステムズやヒューレット・パッカードと対抗できなくなっていた… 1999年、IBMは歴史を経た高コストのサーバ事業に問題をかかえていた。特にAIXという名で知られるUNIXバージョンのサーバである。また、パーソナルコンピュータ市場でも損失に悩まされていたし、下り坂のメインフレーム市場も悩みの種だった。IBMサーバグループのトップであったロバート・スティーブンソンはシークエントを得てUNIXのハイエンドサーバを強化することがシェアを伸ばしているサンと対抗する方法と考えた。 IBMがシークエントを買収後、間もなくスティーブンソンは退職し、サーバグループを統括する役目はサミュエル・J・パルミサーノに回ってきた。WSJの記事によるとパルミサーノはIBMの多岐にわたるサーバ戦略を単純化したいと考えていた。また、シークエント創業当時の経営者の一人スコット・ギブソンはWSJに対して買収は最初から失敗だったと語り「買収を指揮した人間が退職してしまったからだ」と述べた。 このIBMによる買収劇の別の見方として、IBM は決して中長期の計画に基づいてシークエントを買収したのではなく、サンがシークエントを買収することを防ぐ目的があったというものである。サンはクレイから Enterprise 10000 サーバの技術を導入して IBM のサーバ市場シェアに打撃を与えていた。IBM はこれが繰り返されるのを防ぎたかったのではないかとされている。シークエントは IBM にとって見れば何ら利益をもたらさなかったが、サンが買収した場合の損害を防いだと考えられる。さらに別の見方としては、買収の当初の構想はどうあれ、従来は「大規模SMPはリニアに性能が出ない」としてRS/6000-SPなど超並列マシンを推進していたIBMが、結果的には上述のようにNUMA技術を自社のサーバ系列(xSeries、pSeries)に取り込むことで、以後の大規模SMPサーバーのエリアを確保したとも考えられる。
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