FICONの試験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/07 23:39 UTC 版)
1機の量産型RB-36F-1-CF ピースメーカー(シリアルナンバー:49-2707)が爆弾倉内に特製の空中ブランコ機構を備えるように改造されてGRB-36Fの名称を与えられ、1機の量産型F-84E サンダージェット(シリアルナンバー:49-2115)のコックピット前の機首部に引き込み可能なフックが取り付けられた。このフックが戦闘機と飛行中に爆弾倉内で戦闘機を保持する空中ブランコとを繋いでいた。空中ブランコは戦闘機を発進させる時に下げられ、作戦終了後に引き込まれた。戦闘機の寸法の関係で実際にGRB-36の内部に格納されるのはコックピット、胴体背面の隆起部、垂直尾翼のみであり、これが抗力の増大をもたらしたことでこの巨大爆撃機の航続距離は5から10%減少した。その一方で利点としては戦闘機のパイロットが母機で運ばれている間は乗機から離れることが可能で、目標への往復に費やす10時間に及ぶ飛行を乗り切ることができた。 初期のFICONの試験は1952年に実施された。最初の結合は1952年1月9日、最初の爆弾倉内への引き込みは4月23日、離陸から着陸までのシステム一貫試験は5月14日に実施された。1953年にGRB-36/F-84Eはエグリン空軍基地へ移され、その後にそこで170回の空中発進/回収を行った。1953年5月にF-84Eはより高速のF-84F サンダーストリークに代替され、この任務用に改修されて短い間GRF-84Fの名称が与えられたオリジナルのYRF-84F(短期間YF-96Aと呼ばれた)試作機(シリアルナンバー:49-2430)が充てられた。RF-84F サンダーフラッシュ戦術偵察戦闘機が就役すると、FICONの任務は攻撃から偵察へと変更された。F-84と同様にRF-84はその小さな機体と防御の厚い目標上空で発揮する敏捷性を活用し、母機の爆撃機が敵防空網圏外で待機している間に情報収集を行うことが期待されていた。この構想は「戦術的に適切」("tactically sound")であると判断され、USAFは10機の量産型RB-36DのGRB-36D母機への改修と25機のRF-84K戦術偵察戦闘機を発注した。RF-84Kは引き込み式のフック装置を装備している点と母機のGRB-36内により密着するように水平尾翼に下半角がついている点が通常のRF-84Fと異なっていた。0.50 in.機関銃は装備したままだったため護衛戦闘機としても活用することもできた。RF-84Kは高度25,000 ft (7,550 m)以下で発射され、それだけで長大なGRB-36Dの2,800 mi (4,500 km)という戦闘半径に更に1,180 mi (1,900 km)を付加することが可能であった。
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