BT60Y
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:49 UTC 版)
1991年にブラバムはヤマハと契約し、V型12気筒のOX99エンジンを搭載することになった。開幕2戦はBT59Yで戦い、第3戦サンマリノGPからBT60Yが投入された。ジャガーからWSPCに参戦していたマーティン・ブランドルと、ルーキーのマーク・ブランデルがドライブした。 BT60はハイノーズを採用したが、ノーズは偏平な楕円形で、フロントウィングを中央1点で懸架する独特の形状となった。インダクションポッドはBT59のT字型から、楕円形のペリスコープタイプに変更された。コクピット周辺や内部はタイトな構成で、ブランデルは「F1初年度の僕にとってBT60には大体においては満足だったけど、コクピット内がかなり窮屈で、どのスイッチに手を伸ばすにもしんどいのが玉に傷だった。僕はテストでウィリアムズ・FW14にも乗っているので、そちらの居住性の良さや速さなど、ブラバムがそのレベルに達するには長い道のりだと感じる。かなり違う乗り物だ」とBT60について述べている。 ヤマハOX99はチームにとって待望のワークス・エンジンだったが、前半戦はシャーシとのマッチングに苦しみ、完走率が低かった。 シーズン中のインタビューにてブランドルは「今年のマシンパッケージの中で一番のウィークポイントはピレリタイヤだ。ピレリユーザーはグッドイヤー勢より多くのタイヤ交換を強いられるしもっと安定したタイヤが欲しかった。それとピレリがレースになってからテストで使うと決めたのと別のタイヤを試し始めた時には、混乱を通り越してかなり腹が立ったよ。ピレリとしてはフロントランナーであるベネトンの要求に応えるのが最優先なんだろう」と、このマシンが装着していたピレリタイヤへの不満を述べている。またヤマハエンジンについては、「ヤマハは良く進歩している。ホンダや他メーカーとの3年のギャップを縮めていってるよ。高回転型のエンジンの投入以後はかなりパワーアップしていたけど、一部のコンロッドやピストンなどの負担が大きくなって予想より早く壊れてしまうようになった。ヤマハはこの部分は白紙から作り直さなければいけない」と基本的な部分での安定度に問題が生じたと述べている。チーム側にも、カナダGPでブランドル車のシフトレバーが壊れたのに代表される些細なマシントラブルが多くあり、チームリーダーだと自負していたブランドルは開幕時から「レースを戦いながらエンジンを開発するんだから大変な一年だ。でも楽じゃないのは承知で加入したし乗り越えていくよ」と語っていたものの、徐々にマシン全体をまとめるのが難しく感じるようになっていったという。 一方のブランデルは、「マシンを開発するための資金とスポンサーが見つかれば、もっと正しい方向に行けたと思う。最初はギヤボックストラブルやブレーキトラブルとか基本的なトラブルが多くて参ったけど、そこは乗り越えた。信頼性をもっと高めたかった。そこが一番重要だった」とBT60を述べている。 シーズン前半でのポイント獲得が成らなかったため、後半戦からは金曜朝の予備予選からの出走が義務付けられたが、ブランデルがベルギーGPで6位、ブランドルが日本GPで5位に入賞し、チームは3ポイントを獲得。コンストラクターズランキング10位でシーズンを終えた。 ヤマハエンジンは1992年にジョーダンへ供給されることになり、ブラバムとのジョイントは1991シーズンの1年限りとなった。
※この「BT60Y」の解説は、「ブラバム・BT60」の解説の一部です。
「BT60Y」を含む「ブラバム・BT60」の記事については、「ブラバム・BT60」の概要を参照ください。
- BT60Yのページへのリンク