32ビットパソコン・Windowsの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 01:18 UTC 版)
「パーソナルコンピュータ史」の記事における「32ビットパソコン・Windowsの時代」の解説
1990年頃にはFM TOWNSのように日本国産機も32ビットCPUを採用する機種が現れた。同じ頃PC/AT互換機で日本語の取り扱いが可能になるOS「DOS/Vが登場し、また1991年にはGUIを使ったWindows 3.0が発売され、世界的な標準機である「PC/AT互換機」が上級ユーザを中心に日本に流入し始めた。この頃にOADGも結成され、日本国内独自のビジネスパソコンやAX機を発売していたメーカーはPC/AT互換機路線に転換した。 1993年に改良されたWindows3.1が発売されると、統一された規格に沿った部品が世界的に豊富に流通し、コストの面でも有利なPC/AT互換機が売れるようになった。また、CPUやバス、グラフィックカード、ハードディスクの高速化とメモリの低価格化により、日本国産機が特殊なハードで実現していた機能をソフトによる「力技」でも実現できるようになった。 Macintoshは漢字Talk7が発売された頃からハードウェアの値下げと日本語処理機能の充実によりマルチメディアに優れたパソコンとして認知され、シェアを伸ばしていった。 NECはWindows向けに性能を上げたPC-9821シリーズ(1992年)を発売したが、これらの影響を受けて次第に部品の大部分がPC/AT互換機と共通になっていった。FM-Rで唯一PC-9800に食い下がっていた富士通は既存の機種の機能強化と並行してPC/AT互換機FMV(1993年)の販売を開始し、次第に独自路線を縮小していった。 1995年にGUIを大改良したWindows 95の発売が開始されると、日本でも新聞やTVのニュース番組で大きく取り上げられたため新規のパソコンユーザを増やす起爆剤となった。さらに98互換機のエプソンもPC/AT互換機に転換し日本国内独自パソコンはホビーユースを含めて終焉へ向かった。残ったNECも1997年ついにPC/AT互換機であるPC98-NXシリーズへの転換を表明した。この頃までのパソコンは、主にワードプロセッサ、表計算ソフト、データベースなどのオフィスアプリケーションを利用するツールとして普及していった。 1998年にiMacが発売された頃からパソコンがインターネットを利用する端末として台頭する。また、Windows・Macintoshのほか、Linux・BSDなどのUnix系OSも新たに台頭した。これらの普及はワークステーションやオフィスコンピュータの領域をも侵食し、クライアント用途だけでなくパソコンでネットワークのサーバを組むことも普通に行われるようになった。 なおWindowsにはNT系列と95系列とふたつの系列があったが、Windows XP以降はNT系列に統合されている。 95系列の主なOS:Windows 1.x/2.x/3.x/95/98/Me NT系列の主なOS:Windows NT/2000/XP/Vista/7/8/10 2003年9月、NECはPC-9800シリーズの出荷停止を表明し、ついに日本国内独自パソコンの歴史は完全にピリオドが打たれた。 2004年以降も日本の市場に出ている独自規格パソコンはMacintoshだけとなり、あとはすべてPC/AT互換機となった。Pentiumシリーズ・PowerPC・XScaleなど高性能なCPUが搭載されて高速化が進んだ各パソコンやPDAでは、かつてのパソコンやビデオゲーム機のエミュレータソフトを作ることが盛んに行われるようになった。
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