32ビット機時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 15:50 UTC 版)
トレジャーは、1994年にセガがリリースしたセガサターンが大量のスプライトを処理できることを歓迎した。また同社のファン層がセガのゲーマーばかりであることも認識していたため、32ビット機時代になると、サターン用ゲームの開発に移行した。サターンは3Dグラフィックスにも対応していたが、トレジャーは2Dスプライトのノウハウを蓄積していたため、2Dゲームの開発を続けた。彼らは3Dゲームとの競合については心配していなかったという。最初のサターン用ゲーム『ガーディアンヒーローズ』(1996年)は、ベルトスクロールアクションゲームに格闘ゲームとRPGの要素を盛り込んだゲームだった。続いてリリースした『ゆけゆけ!!トラブルメーカーズ』(1997年)と『シルエットミラージュ』(1997年)という2つの横スクロールアクションゲームは並行して開発された。NINTENDO64用ソフトとしてエニックスより発売された『ゆけゆけ!!トラブルメーカーズ』は、トレジャーにとって初めてセガ以外が発売元となりセガハード以外で発売されたゲームである。『シルエットミラージュ』は当初サターン用にリリースされたが、1998年にPlayStationに移植された。 1998年、トレジャーは同社にとって初のアーケードゲームとなる縦スクロールシューティングゲーム『レイディアントシルバーガン』をリリースした。トレジャーは長年、商業的実現可能性への懸念からアーケードゲームの開発を躊躇していたが、スタッフは『レイディアントシルバーガン』のポテンシャルを信じ、開発に熱望していた。同作はリリースされた年の後半にサターンに移植された。次にエニックスよりPlayStation用の格闘ゲーム『ラクガキショータイム』(1999年)を発売したが、キャラクターの所有権をめぐってエニックスとトレジャーの間で法的な問題が起きたため、同作は発売直後に店頭から撤去された。続いて多方向シューティングゲーム『爆裂無敵 バンガイオー』(1999年)をまずNINTENDO64で、その後修正を施してドリームキャストで発売した。1999年時点において、トレジャーの設立スタッフのほとんどはまだ同社に在籍していた。
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