20世紀と21世紀中の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 22:32 UTC 版)
「自由の鐘」の記事における「20世紀と21世紀中の歴史」の解説
自由の鐘は1902年にサウスカロライナ州での博覧会へ向けて運ばれていたが、運送していた機関車が別の車両と衝突し、その後に脱線してしまう事故に巻き込まれた。その後1930年代に、鐘をあちこちへ移動させるにはあまりにも危険であるとの結論が下され、この慣行は終わりを告げた。 1976年1月1日、アメリカ独立200周年記念期間中に増加すると思われる観光客を予期して、自由の鐘は再び独立記念館から1ブロック北側(フィフス・ストリートとマーケット・ストリートの南西の角にあたる場所)に位置するガラス・パビリオンに移された。この小さく、質素なパビリオンは訪れる観光客からあまり人気が無いことがわかり、これが最終的に2003年に開場となる、より大きなパビリオン創設の計画へと至らしめることとなった。また、同じく1976年にはイギリスのエリザベス2世がフィラデルフィアを訪れており、最初に鋳造を担当したホワイトチャペル社製のレプリカ「200周年記念の鐘」を、アメリカ合衆国民への寄贈品として進呈した。この時贈呈された鐘は現在、独立記念館近隣に位置する鐘楼に吊り下げられている。 1996年4月1日、ファーストフード店のタコベルはニューヨーク・タイムズ紙とフィラデルフィア・インクワイアラー紙の一面広告を使用して、「国の負債を減らす」ため自由の鐘を購入し、新たに「タコ・リバティ・ベル(タコスの自由の鐘)」と名付けたと報じた。これにエイプリル・フールの冗談であるとすぐにはわからなかった多くの人々が抗議する騒ぎとなった。 2001年4月6日、ネブラスカ州から放浪して来たと自称する男が、ハンマーで自由の鐘を数回叩きつける事件があった。彼は「神は生きている!」などと叫びながらハンマーで4回鐘に打ち付けたという。行為を行った理由は自分のアメリカ合衆国からの独立を宣言する為であったなどと供述しており、鐘を破壊し外観を損ねるためではなかったと話した。修復後、彼の打ち付けたハンマーの跡は見えなくなった。 2003年10月、自由の鐘は南西側近隣に新しく建設されたパビリオン、リバティ・ベル・センターへ移動された。この建造物の建設地の選定を巡っては、かつてジョージ・ワシントンが1790年代に住んでいたところからちょうど南にあたる場所であったため議論を呼んだ。当初の計画の後、建造物の建設予定地はワシントンに仕えていた奴隷達の為に用意されていた場所の近辺に決定した。 2012年の時点で、自由の鐘はシックスス・ストリートとチェストナット・ストリートの北東の曲がり角に位置している。新しく設立された国立憲法センターは北へ2ブロック先に位置し、独立記念館はちょうど通りを渡った先、フィフス・ストリートとシックスス・ストリートの間のチェストナット・ストリート南側に位置している。フィフス・ストリートとマーケット・ストリートの南西側の曲がり角にある、以前に自由の鐘を収容していたパビリオンは、鐘が移された後は取り壊しのコストを抑えるために競売にかけられた。しかし、オークションでの反応は薄く、その後は独立記念館の内外を訪れる観光客の治安を守る警備施設へと作り変えられた。 自由の鐘を収めるリバティ・ベル・センターは、アメリカ国立公園局が管理する独立記念国立歴史公園の一部である。
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