2代目博多電気軌道の設立
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「博多電気軌道」の記事における「2代目博多電気軌道の設立」の解説
長く九州水力電気の兼業として経営されてきたが、同社が抱える鉄道事業や化学事業の収益は本業である電気供給事業に比して著しく小さく、しかも福岡地区の軌道線を除いて経営不振であったことから、1926年(大正15年)12月に兼業部門を分社化する方針を固めた。まず分離されたのが大分電鉄線で、翌1927年(昭和2年)に別府大分電鉄(現・大分交通)が設立された。続いて同年12月、福岡市内線と北筑電鉄線を分離することを決定。1年半後の1929年(昭和4年)5月5日付でその受け皿となる新会社博多電気軌道株式会社(2代目)が設立され、同年7月1日付で事業譲渡が完了した。 新設の博多電気軌道は資本金200万円(うち払込50万円)で、総株数4万株のうち3万8100株を九州水力電気が、残りを同社経営陣が保有した。路線は市内線(循環線・吉塚支線)8.5キロメートル、城南線5.0キロメートル、北筑線4.0キロメートルからなる。1930年(昭和5年)10月21日、単線で開業した城南線のうち渡辺通一丁目停留場から高等学校前停留場までの2.9キロメートルの複線化が完成した。分離後の営業成績は、乗客数については年間2000万人を超えてはいたものの乗合バス事業の発達に伴って伸び悩んだ。1932年(昭和7年)上期になって博多電気軌道もバス事業へ進出しているが、収入は1000円程度(軌道収入の1パーセント以下)とごく小規模な事業であった。一方この時期、貨物輸送については好調で、博多築港からの石炭積み出しが増加して1934年度に年間40万トン規模となっている。 1932年3月18日、北筑線のうち起点今川橋停留場(西新町新地)から城南線と接続する西新町停留場までの区間の路線および軌道敷設特許を東邦電力へと2万6000円で売却した。これは東邦電力が木造の今川橋を架け替えて橋を挟んで線路が途切れている自社線と北筑線を接続させる計画を立てたためで、3月25日より同区間の営業が開始された。この路線譲渡によって博多電気軌道線の営業キロは合計17.2キロメートルとなった。
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