2代目宮川香山から4代目宮川香山まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 16:02 UTC 版)
「宮川香山」の記事における「2代目宮川香山から4代目宮川香山まで」の解説
初代宮川香山には男子は無く、宮川香山の名は養子の宮川半之助が2代目を継承した。また初代の女婿に宮川恒助があり、初代・2代目とともに真葛窯の運営に当たり、窯の事務などを担当していた。1941年(昭和16年)に2代目が死去し、2代目の長男宮川葛之輔が3代目を継いだ。3代にわたって高い技量で名声を得たが、3代目は1945年(昭和20年)の横浜大空襲に罹災し窯・家は全焼、3代目と家族・職人計11名が死亡した。宮川家では3代目の弟宮川智之助が平塚市に疎開しており難を逃れ、戦後智之助が4代目宮川香山を名乗り、窯を起こしたが、作品の復興は成らず、4代目の死をもって真葛焼は廃窯となり、香山の名も絶えた。江戸時代の宮川長造以前に分かれた本家筋の真葛宮川香斎家や初代の弟子筋に当たる窯元などが「香」の字のついた号を名乗り、香山の盛名を伝えている。
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