2代目山口電灯の再起とは? わかりやすく解説

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2代目山口電灯の再起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 16:33 UTC 版)

山陽電気」の記事における「2代目山口電灯の再起」の解説

1911年明治44年8月山口電灯所では発電設備更新実施されブリティッシュ・トムソン・ヒューストン (BTH) 製の125キロワット単相交流発電機新設された。山口電灯所の電灯数は1902年以来1000余り停滞していたが、設備更新機に増加し始める。翌年電灯料金10燭灯で10銭の値下げとなったことも増加傾向強めた1914年大正3年1月1日県内出身実業家葛原猪平11万円にて山口電灯所を賀田から買い受けた買収後葛原事業個人経営から株式会社組織へと改組し、同年10月23日2代目山口電灯株式会社設立した葛原2代目山口電灯社長となり、事業拡大推進していく。その第一弾大井川での水力発電所建設であり、1914年6月水利権取得1916年大正5年6月阿武郡紫福村(現・萩市紫福)にて大井川発電所完成させた。この大井川発電所山口県最初水力発電所である。発電所出力300キロワット(のち640キロワット)で、9月には発電所山口小郡・萩3つの変電所とを結ぶ22キロボルト送電線による送電始まった水力発電所建設に伴い2度わたって料金改訂され1916年8月以降16燭灯の場合月額85となった料金引き下げ加え供給区域阿武郡美祢郡にも広がったことで、電灯数は1916年末には約1万1500灯まで伸長する。また大口の電力需要家も出現し小郡小郡電灯阿武郡川井川鉱山供給するようになった

※この「2代目山口電灯の再起」の解説は、「山陽電気」の解説の一部です。
「2代目山口電灯の再起」を含む「山陽電気」の記事については、「山陽電気」の概要を参照ください。

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