2代目入船亭扇橋の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 14:52 UTC 版)
船遊亭扇橋は1843年8月15日に太良鉱山を訪れた。その夜は十五夜の月見であった。宿の文吉殿の向かいの山の端から月が出たのを見た。役宅でお座敷を務めたら、粕毛川で獲れた鮎が藤琴から送られて来たというので、私もご馳走になった。16日17日と三晩、座敷興行をして、18日に太良を出立した。太良から半里ほど山奥に矢櫃という鉱山がある。支配人は成田新一郎殿というそうだ。矢櫃にも来てくれと言われていたが、藤琴から加護山へ急いでいたので、矢櫃には行かなかった。この成田新一郎殿というのは、近辺の鉱山の支配人頭で、先祖は成田儀兵衛殿といって銅山に勤めて功績があり、佐竹藩のお屋形様から十人扶持をくだされたとのことだ。太良から山道で弘前までは9里ほどだという。3里ほど行くと、津軽と秋田の境に出るとのことだった。
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