1999年1月 - 3月 : ランブイエ和平交渉とは? わかりやすく解説

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1999年1月 - 3月 : ランブイエ和平交渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 04:49 UTC 版)

コソボ紛争」の記事における「1999年1月 - 3月 : ランブイエ和平交渉」の解説

ランブイエ交渉2月6日始められNATOハビエル・ソラナ事務総長両サイド仲介交渉行った。彼らは2月19日交渉をまとめる意向であったセルビア側の代表者セルビアのミラン・ミルティノヴィッチ(英語版大統領であり、ミロシェヴィッチ大統領自身ベオグラードに留まった。これは、ミロシェヴィッチ大統領自身直接交渉臨んでの、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争終結させたデイトン合意の時とは対照的であった。この時は、ミロシェヴィッチ大統領自らが交渉臨んだミロシェヴィッチ大統領不在は、交渉関わらず実際決定ミロシェヴィッチ大統領ベオグラード行っていることを示すものとみなされセルビア国内国際社会双方からの非難受けたコソボセルビア正教会主教アルテニイェ(Artemije)は自らランブイエ出向き交渉代表者欠いていると抗議した歴史的根拠に関する交渉初期段階には成功した具体的には、連絡調整グループ共同議長による1999年2月23日声明では、交渉では「民主的な共同体による自由で公正な選挙公平な法体系を含む、コソボ自治に関して合意得られた」としている。さらに、「政治的枠組み定められた」とし、「合意文書の内容定める」ことを終えるための更なる作業残されており、残されたもの中にはコソボにおいて招致された国際的な文民と軍のプレゼンス」が含まれていた。しかし翌月の間、アメリカルービンRubin外交官オルブライト影響受けたNATOによって、軍のプレセンスは「招致された」ものではなく強制する」べきであるとした。NATOコソボ解放軍への傾倒は、BBCテレビ番組Moral Combat: NATO at War』にて特集された。実際には、NATO軍事委員会の議長であるクラウス・ナウマン将軍発言では、「ウォーカー大使北大西洋理事会North Atlantic Council)にて、停戦破棄大部分コソボ解放軍よるものであるとしている」とされた。 1999年3月18日アルバニア人アメリカ、イギリス代表者らはランブイエ合意署名したが、セルビアおよびロシア署名拒否した合意案では、次のことを求めていた。 コソボユーゴスラビア枠内自治州としてNATO統治する。 3万人NATO兵士コソボ治安維持にあたる。 NATO兵士によるコソボを含むユーゴスラビア領内への無制限通行権利NATOその人員に対すユーゴスラビア法の適用除外アメリカ合衆国およびイギリス代表者らは、この合意案はセルビア側が受け入れることのできないのである考えていた。これらの後半要求内容ボスニア・ヘルツェゴビナ平和安定化部隊に対して適用されたものと同様であった合意案はアルバニア人側の要求を完全には満たしていなかったものの、合意案はセルビア側にとっては十分に過激なものであり、これに対してセルビア側は合意案の大幅な変更求めロシア合意案は受け入れ不可能であるとした。 ランブイエ交渉2月行われている間も攻撃続けられコソボ査察合意3月には破綻した道路上での殺害増加し軍事衝突頻発した他の地域加え2月にはヴシュトリ / ヴチトルン(英語版)で、3月にはこれまで衝突のなかったカチャニク(英語版)でも衝突起こった交渉失敗以降事態急速に進行したNATOによる空爆が始まる1週間前、西側諸国のほとんどのジャーナリスト滞在しているベオグラードハイアットホテルに、アルカンことジェリコ・ラジュナトヴィッチ現れセルビアを去るように求めた欧州安全保障協力機構OSCE)の国際監視団3月22日NATOによる空爆予見され、監視団の安全を保障できないとして、監視団撤退させた。3月23日セルビア議会コソボ自治認めランブイエ合意の非軍事部分受け入れることを決定した。しかし、ランブイエ合意軍事部分、より厳密には「NATOによるコソボ占領統治」の様相呈している条項Bの受け入れには反対した。合意案は全てにおいて「欺瞞」であるとし、その理由として合意案の軍事部分交渉最終段階になって初め議題上がり十分に交渉する時間与えられず、またその交渉相手は「分離主義者のテロリスト代表者」であり、ユーゴスラビア連邦共和国代表者直接会わず直接交渉することを交渉中一貫して拒否していたとして激しく非難した。その翌日3月24日NATOセルビアへの空爆始めた

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