1982年の悲劇とは? わかりやすく解説

1982年の悲劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 02:46 UTC 版)

ディディエ・ピローニ」の記事における「1982年の悲劇」の解説

前兆サンマリノグランプリ 1982年のF1シーズンは、それまで続いていた国際自動車スポーツ連盟FISA、後に国際自動車連盟吸収)とフォーミュラ・ワン・コンストラクターズ・アソシエーションFOCA)の対立という運営混乱もあり、シーズン開幕当初から荒れていた。第2戦ブラジルグランプリでは重量規定違反により1、2位が失格。これを不服としたFOCAチームが第4戦サンマリノグランプリボイコットし14台のみの出走となった決勝は、ルノールネ・アルヌーフェラーリ勢が抜け出す展開となり、後続大差をつけ激しバトル展開されたが、アルヌーは45周目にエンジントラブルリタイヤ以後フェラーリ陣営1-2体制となったため、同士討ちガス欠を防ぐ意味で、チームは「SLOW」のピットサインを提示した。 これを「先行する自分優勝権利がある」と考えたヴィルヌーヴ対し、ピローニは「燃費気を付けていればヴィルヌーヴ競り合っていい」と解釈結果として2人バトル続きヴィルヌーヴは、観客楽しませる余興考えていたと言われる)、最終ラップにピローニがヴィルヌーヴ交わして優勝した。「ピローニがチームオーダー無視した」と捉えたヴィルヌーヴ激怒し両者の関係極度に悪化した連鎖する悲劇 サンマリノグランプリ2週間後、ゾルダー・サーキットで第5戦ベルギーグランプリが行われた。いまだピローニへの怒り収まっていなかったヴィルヌーヴは、予選2日目終了直前、自らのタイムをピローニに破られたと聞くや否やタイムアタック開始した。しかしピローニのタイムを上回れアタック続けた結果スロー走行中のヨッヘン・マス追突シートもろともマシンから脱落し地面叩き付けられて死亡した。フェラーリチームは喪に服し決勝レースへの出走取りやめた。 その後、ピローニは第8戦カナダグランプリPP獲得したが、決勝スタート時エンジンストール起こし立ち往生、そこに後続リカルド・パレッティ激しく追突した。ピローニはほとんど無傷だったが、激突衝撃マシン炎上によりパレッティが死亡したサーキットは、1ヶ月ほど前に事故死した地元英雄名を取って「イル・ノートル・ダム・サーキット」から、「ジル・ヴィルヌーヴ・サーキット」と改称されたばかりだった。 雨中大事故 ホッケンハイム行われた第12戦ドイツグランプリでは、ピローニ自身大事故遭遇する豪雨中行われた土曜午前フリー走行中、スタジアムセクションに向かう直線区間ルノーアラン・プロストの前をウィリアムズデレック・デイリー走っていた。スロー走行中のデイリー後方確認しプロストにレコードラインを譲った水煙により前方視界が悪い中、その後方から接近してきたピローニはプロスト存在に気づかず、デイリー自分ライン譲ってくれたと思ったデイリーパスしたピローニの前に突然プロストマシンあらわれ避け間もなく後輪乗り上げて宙を舞いプロストの上飛び越えて地面叩きつけられ衝撃マシン前部大破した事故形態は、ゾルダーでのヴィルヌーヴとほぼ同様だった。 ピローニは一命取り留めたものの、変形した車体押しつぶされ両脚複雑骨折重傷を負う。ピローニは意識を失わなかったため、いつ炎上する分からない状態でマシン閉じこめられる恐怖味わった上、救急隊員の「足を切断しないと助け出せないかも知れない」といった緊迫した会話全て聞くことになってしまった。ピローニは金曜日予選1回目タイムによりPP獲得したが、決勝DNS不出走)となり、結果的にこの怪我でF1キャリア絶たれることになったプロスト不可抗力とはいえ親友ピローニの悲劇立ち会ってしまったことで、事故リスクについて慎重に考えようになった。のちに自身レース観において「1982年転機になった」と語っている。

※この「1982年の悲劇」の解説は、「ディディエ・ピローニ」の解説の一部です。
「1982年の悲劇」を含む「ディディエ・ピローニ」の記事については、「ディディエ・ピローニ」の概要を参照ください。

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