1982年の噴火
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1982年3月29日に噴火活動を開始し、4月4日までに大規模な噴火が続いた。火口から約8キロの範囲に火砕流が流下し、周辺の村や町を直撃して2000人以上の犠牲者を出した。一方、噴煙は高さ16,000メートルにまで到達し、大量のエアロゾルが成層圏に撒き散らされた。この為、世界全体の平均気温が0.3℃~0.5℃ほど低下したと言われている。 この噴火による被害総額は55,000,000メキシコ・ペソ、破壊された耕地面積は24,000平方キロに達した。
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1982年の噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/21 10:29 UTC 版)
1982年に入り、火山活動がさらに活発化。特に4月から6月にかけての噴火は最も激しく、山体を変えるような噴火であった。大量の火山灰を含んだ噴煙を上空1万m以上吹き上げ、火山雷も観測、ラハール(火山泥流)も発生した。この噴火により、6万人に及ぶ避難民を出したほか、18人の死者を出した。山頂は陥没し、カルデラを形成した。この噴火を最後に、ガルングン山は活動を休止している。
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