1982年–1989年:コラボレーション
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「マテリアル (バンド)」の記事における「1982年–1989年:コラボレーション」の解説
ビル・ラズウェルとマイケル・バインホーンはデュオに落ち着き、他のミュージシャンと協力してプロデュース、作曲、演奏をするようになり、マーティン・ビシが時折エンジニアを続けた。彼らは当初エレクトロのジャンルで活動していたが、すぐにヒップホップやラップの分野へと移り、ターンテーブリストのグランドミキサーD.ST.や、ラッパーのPHASE2やファブ・ファイヴ・フレディとコラボレーションを行った。 エレクトラ・レコードでのラズウェルとハービー・ハンコックの偶然の出会いがあり、ハンコックがマルコム・マクラーレンの『バッファロー・ギャルズ - Back To Skool』の流れの中で音楽を作ることに興味を示し、アルバム『フューチャー・ショック』とヒット・シングル「ロックイット」を生み出すコラボレーションへとつながった。彼らはハンコックと協力して、彼の名前でリリースされたさらに2枚のアルバム、1984年の『サウンド・システム』と1988年の『パーフェクト・マシーン』をコラボレートした。ハンコック自身は、マテリアルとラズウェルのプロジェクトの多くに貢献し続けた。 1984年、タイム・ゾーンという名前で、ディスクジョッキーのアフリカ・バンバータとジョン・ライドン(セックス・ピストルズ、パブリック・イメージ・リミテッドの元シンガー)をフィーチャーしたシングル「ワールド・ディストラクション」をリリースした。 1985年にラズウェルとバインホーンは袂を分かった。バインホーンは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやマリリン・マンソンなどに音楽プロデューサーとして参加するようになった。ラズウェルはマテリアルの名前を保持し、ギタリストのニッキー・スコペリティス、キーボード奏者のジェフ・ボヴァ、パーカッショニストのアイブ・ディエン、元P-ファンクのキーボード奏者バーニー・ウォーレル、ベーシストのブーツィー・コリンズ、そしてジャマイカのレゲエ・デュオであるスライ・ダンバーとロビー・シェイクスピア(スライ&ロビー)を中心とした、ミュージシャンたちによる大規模なグループを呼びかけていった。
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