1980年代・さらに続く拡大傾向
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「神奈川中央交通」の記事における「1980年代・さらに続く拡大傾向」の解説
1980年代に入ると、日本のバス事業全体の傾向としてモータリゼーションと道路渋滞による走行環境の悪化と利用者減少に見舞われるが、神奈中の営業エリアは人口増加が続き、バス利用者も増加した。人口増加や企業・学校の郊外移転などで、鉄道からのフィーダー輸送の役割が求められたためである。1980年代以降は沿線に大学の新設や移転などが続いたため、通学輸送の増強も行われる事になった。既に1971年には相模原市に北里大学が移転していたが、1980年代初頭には相模原地区における輸送の要となっていた。 1981年に会社創立60周年を迎えたが、この時に先人達の苦労を伝えるという意味で薪バス「三太号」を復元した。薪バスは沿線各地で展示なども行われた。同年、平塚市の本社の改築が終了したが、それまで本格的なレストランがないという声が地元からあったため、本社に併設された平塚グランドホテルの地下にレストランもオープンさせた。 また、1982年にはデジタル式運賃表示器を、1985年(昭和60年)には大型方向幕を導入するなど、路線車両のサービス改善にも積極的に取り組んだ。特に1987年(昭和62年)4月には一挙に300台もの新車導入が行われ、同年5月には全車両の冷房化を達成した。1988年にはそれまですべてを人手に頼っていたバスダイヤの作成を自動化すべく、バスダイヤ自動作成システム「AIDIA」も稼動開始し、日本のバス業界の注目を集めた。 1984年からは遊技場(パチンコ店)経営にも着手したほか、1990年(平成2年)10月30日には伊豆半島にゴルフ場「中伊豆グリーンクラブ」をオープンさせている。また、当初は社有地の有効活用として進出した食堂業については、事業拡大のため用地の購入や賃貸による出店を行うことになり、1983年6月には沿線外への店舗展開も開始された。ラーメン屋の名称は、1989年3月17日から「くるまやラーメン」に名称変更された。また、サーティワンアイスクリーム・ミスタードーナツ・ケンタッキーフライドチキンなどとの提携による出店も開始されている。
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