1980年代の地方の反乱
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「地方の時代」の記事における「1980年代の地方の反乱」の解説
このあと、地方の時代は進展を見せなかった。1980年代の財政再建路線により地方への財政資金フローが減少、地方からの人口流出が再び激しくなり、大都市圏と地方圏との格差が拡大した。この状況をとらえ、平松守彦・大分県知事は「地方試練の時代」、細川護煕・熊本県知事は「地方反乱の時代」と呼んだ。細川は熊本県の「日本一づくり運動」を推進、『雛の論理』(岩國哲人との共著)も著した。地方からの異議申し立て、独自施策が脚光を浴びた。この時期が地方が一番輝いていた時期といえるかも知れない。
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