1980年代の「革新懇」と「非核の政府」とは? わかりやすく解説

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1980年代の「革新懇」と「非核の政府」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:22 UTC 版)

日本共産党」の記事における「1980年代の「革新懇」と「非核の政府」」の解説

詳細は「平和・民主・革新の日本をめざす全国の会」を参照 1980年1月社会党公明党が、日本共産党排除前提とした政権構想合意した結果社公合意)、社会党との連立前提にしていた民主連合政府構想実現性が遠のいた。このため1981年平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会全国革新懇)を結成し、「軍事費削って福祉にまわせ」「非核一点結集を」などと呼びかけ政党組み合わせによる「革新共闘模索ではなく、「思想信条支持政党、の違い超えた国民多数革新的な運動の結集」により、無党派との共同による新たな革新戦線全国的に追求するとした。 しかしこれは、社会党共産党との間で揺れ動く革新浮動層を共産党取り込むための方便と見る見解もあり、亀田得治元参議院議員)、成瀬昇(元愛知県評議長)、西岡瑠璃子元参議院議員歌人)、栗原透(元社会党高知県委員長高知県議)、矢山有作元衆議院議員)ら元社会党員も多数参加しているにもかかわらず具体的な選挙共闘としては愛知県高知県などを除き余り大きな成果得られていない革新懇全国組織の「全国革新懇」、都道府県市区町村学区などの単位結成されている「地域革新懇」、職場ごとの「職場革新懇」など、様々な単位結成され活動しているが、実態は党が名前を変えただけの組織である場合多く幅広い結集となっているとは言い難い。 なお、共産党国政選挙で、他党無所属候補推薦支持・支援した例としては、田中美智子安田純治陶山圭之輔、喜屋武眞榮西岡瑠璃子川田悦子(以上無所属)、島袋宗康仲本安一、糸数慶子(以上沖縄社会大衆党)らがおり、そのうち田中安田当選後院内会派日本共産党革新共同」に入っている。 1980年代日本共産党は「民主連合政府」のスローガン事実上棚上げし、「非核の政府」という路線切り替え全国地方公共団体で「非核平和都市宣言条例の制定運動行なった。これは、当時ソ連共産党全世界的に展開していた「反核運動」と一定程度呼応するものであり、日本共産党ソ連共産党一定の接近意味した。だが、「非核の政府」には日本社会党反対し、国政においては広がり欠いた1989年1月1日の『しんぶん赤旗』の宮本顕治議長インタビュー機に、党は事実上社会主義革命棚上げし、二段階革命論基づいて資本主義のもとでの民主的改革」を強調するようになった

※この「1980年代の「革新懇」と「非核の政府」」の解説は、「日本共産党」の解説の一部です。
「1980年代の「革新懇」と「非核の政府」」を含む「日本共産党」の記事については、「日本共産党」の概要を参照ください。

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