1973年以降のフラッシュ
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「フラッシュ (バンド)」の記事における「1973年以降のフラッシュ」の解説
バンド解散後の数年間、メンバーたちはさまざまな組み合わせで一緒に仕事を続けることになった。 ベネットとカーターは、キーボード奏者のクリス・ピジョン、元フレイミング・ユースのメンバーでギターのゴードン・スミス(後に元サヴォイ・ブラウンのバリー・ポールと交代)と、最終的にはハフをメンバーに加え、別のバンドを始めようとした。ロンドンのマーキー・クラブで唯一のギグを行った後、バンド(非公式なバンド名はBlaze)はニューヨークに定住したものの、レコード契約を確保できず(経営陣がより良いものを期待していくつかのオファーを断った)、解散した。この直後、カーターとハフは、ニューヨークのキーボード奏者アル・グリーンウッドと共に、ニューヨークで活動していた別のバンド、ストーム (Storm)の一員となった。このバンドもまた、デビューに失敗し、グリーンウッドははるかに成功したバンド、フォリナーにたどり着いた。レイ・ベネットは、バンド結成がされている中で、ベースでフォリナーに参加するよう招待されたが辞退した。 1975年、バンクスはシドニー・ジョーダン(別名シドニー・フォックス)とアンドリュー・マカロック(ドラム、元キング・クリムゾンで元グリーンスレイド)との新しいプロジェクトにベネットを招待した。ロンドンでの最初のリハーサルはデモ・レコーディングにつながったが、ピート・タウンゼントとロバート・スティグウッドの手助けを得ながらも、バンクスは契約を得ることができなかった。その後、ベネットはジョーダンとマカロックと別のデモを録音したが、そこにバンクスは含まれなかった。 1976年、ベネットは、再びジョーダンをフィーチャーしたバンクスの新しいプロジェクト「エンパイア」の一員となったが、この再会は短命に終わった。 1980年代初頭、ロサンゼルスに拠点を置く元フラッシュ・メンバー全員による再結成を試みたが失敗した。バンクスとベネットは再びバラバラになるまで非公式ながら一緒に演奏をし続けた。 1997年にリリースされたアルバム『Psychosync』は、WLIRラジオの放送のために1973年に行われたライブ録音だけでなく、テレビ番組『ミッドナイト・スペシャル』で演奏された2曲も一緒にまとめられている。 最近になり、ベネットとカーターがフラッシュ名義で、再び一緒に演奏するようになった(ハフも当初は関与していたが後に脱退し、バンクスが参加するという話もあったが、結局、バンクスがベネットとカーターと再び衝突して話は流れた)。 ベネット(現在はリード・ギター)とカーターは、メキシコで2005年に行われた「Baja Prog Festival」にてフラッシュ名義のデュオとして一緒に演奏した。 ベネットとカーターは、2009年7月に「フラッシュ/ベネットカーター」のMySpaceサイトにて、新しいフラッシュのマテリアルを掲載した。新曲のタイトルは「Grand Canyon」「How the West Was Won (後に『Into the Sun』に変更)」「10,000」であった。再結成フラッシュのビデオはYouTubeで見つけることができる。 新しいマテリアルに加えて、フラッシュは以前のアルバムでリリースされていたオリジナルのフラッシュによる楽曲のリハーサル・ビデオを投稿した。これには、デビューアルバム『フラッシュ』(1972年)の「Children of The Universe」、3枚目のアルバム『アウト・オブ・アワ・ハンズ』(1973年)の「Manhattan Morning」などが含まれていた。 2010年8月31日、フルバンドとしては解散以来初となる一般公開を行い、次回のミニ・ツアーに向けて「ライブ・ドレス・リハーサル」を行った。それはラスベガスの南東、ネバダ州ヘンダーソンにあるE-String Barで行われた。ラインナップは、コリン・カーター(ボーカル)、レイ・ベネット(ギター、ボーカル)、ウェイン・カーヴァー(ベース、ボーカル)、マーク・パーディ(ドラムス)、リック・ドハーティ(キーボード)。 フラッシュは、2010年9月4日にノースカロライナ州チャペルヒルで開催された「International ProgDay Festival」のヘッドライナーとして公式に再結成デビューを果たした。ピーター・バンクスが2013年3月に亡くなったのは、2013年5月、40年ぶりにフラッシュがアルバム『Flash Featuring Ray Bennett & Colin Carter』(クレオパトラ・レコード)をリリースする予定の直前のことだった。バンクスは、突然の死を迎える前にそのアルバムからの3曲を聴いており、それらが好きで、特にバンド初のカバー曲、NIN/トレント・レズナーの「Hurt」が好きだと報じていた。 2013年にリリースされた、カンザスシティにあるカウタウン・ボールルームでの1973年のコンサートからのライブ録音、アルバム『フラッシュ・イン・パブリック - フィーチャーリング・ピーター・バンクス』は、ピーター・バンクスによって自らの死の時に準備されていた。
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