1973年度の調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:43 UTC 版)
「十六島ホタルエビ発生地」の記事における「1973年度の調査」の解説
予備調査から4年目となる1973年(昭和48年)も千葉県教育委員会より羽根田への調査継続が委託された。前年度の調査により利根川本流右岸のテトラポット設置地域では再出現の可能性があることと、新たに、1971年(昭和46年)の夏、津宮地区の根本川水門から淵生水門にかけてのテトラポット設置場所付近で採集したエビが光るのを見て、気味が悪く、その日の夜に煮て食べたという確実な情報もあり、利根川本流右岸の津宮地区が重点的に調査された。 同年7月28日と29日の夜、前年同所でホタルエビを採取した漁師のM氏同行のもと、舟を出して津宮地区に仕掛けられた竹製のエビ捕獲器「ヅー」を、計400本を水中から上げて調査したが、ホタルエビを見つけることはできなかった。 日を改めて再度調査を行うことにしたが、1973年(昭和48年)の8月は異常な旱魃で、長期間雨が降らず、利根川の水量は例年の半分ほどであったという。津宮地区のテトラポット設置地域は前年の調査時とは異なり異臭が発生し、漁師らは「水が死んでいる」と言い、明らかに異常を呈していた。そのため調査個所を変更し、同年9月4日から6日にかけ、1971年(昭和46年)に調査を行った茨城県牛堀町を再度訪れ、常陸利根川に仕掛けたエビ網漁の漁獲物を調査したが確認はできなかった。ここも水量が少なく、上流側に位置する霞ヶ浦では藻類のアオコが大発生し、湖水が酸欠状態になり多くの水生植物が死滅したという。 また、与田浦、外浪逆浦、津宮地区のテトラポット設置地域で水を採取し、食塩含有量0.5パーセントの普通寒天培地に発光バクテリアの培養を行い、前後20回の培養試験を行ったものの、発光バクテリアを培養することはできなかった。
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