バンド解散後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/01 13:52 UTC 版)
「マザー・ラヴ・ボーン」の記事における「バンド解散後」の解説
ウッドの死から数ヵ月後、アメンとゴッサードはウッドのルームメイトであり友人であったサウンドガーデンのクリス・コーネルを誘い、ウッドへのトリビュート・バンドであるテンプル・オブ・ザ・ドッグを結成。1991年4月に唯一のアルバム『テンプル・オブ・ザ・ドッグ』をリリースし全米5位を獲得。同作はプラチナディスクに認定された。アメンとゴッサードは1990年にパール・ジャムを結成しグランジシーンを代表するバンドとして大きな成功を収めた。結成から四半世紀が経った現在も第一線で活動を行っている。 フェアウェザーはウッドの死後しばらくは音楽活動から身を退いていたが、1992年にラヴ・バッテリーの新ベーシストとして加入、2枚のアルバム制作に参加した。2006年には新バンドThe Press Corpsを結成した。 ギルモアも解散後は活動を停止していたが、1992年にChubby Childrenでドラムを叩いた。その後もジャック・エンディノとのコラボレーションなどで活動した。
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