18世紀より19世紀
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「ギリシア神話と西洋芸術」の記事における「18世紀より19世紀」の解説
18世紀に入ると、啓蒙の哲学が出現して欧州全域に広まったが、それと共にギリシア神話に対する新しい視点が提示された。古代ギリシアとローマにおける科学的・哲学的な発展の成果を主張する趨向が現れた。とはいえ神話は、ヘンデルのオペラ作品『テッサリア王アドメート(アドメートス)』や『セメレ』、モーツァルトの『イドメネオ』、グルックの『オーリードのイフィジェニー』などに対し、リブレット(音楽台本)を書いた人々を含め、劇作家たちに創作の素材や重要な源泉を提供し続けた。18世紀の終わりには、ロマン主義が、ギリシア神話を含めて、古代ギリシアのすべての文物に対する熱狂的な関心を抱き始めた。 イギリスにおいては、この世紀は、ギリシア古典悲劇とホメーロスの新しい翻訳が登場する大いなる時代であった。これらの翻訳は、またジョン・キーツ、バイロン、シェリーなどの同時代の詩人に霊感を与えたのである。ヴィクトリア朝の桂冠詩人たるアルフレッド・テニスン卿のヘレニズム趣味は、精髄において英国的なアーサー王宮廷についての彼の描像さえもが、ホメーロス風叙事詩の木霊に満たされているようなものであった。1816年のパルテノン神殿の大理石彫刻の購入から刺激を受けて、視覚芸術もまた歩調を揃えていた。フレデリック・レイトン卿及びローレンス・アルマ=タデマによる多数の「ギリシア的」絵画は、古代ギリシアの理想の伝達の一環として真摯に受け入れられた。18世紀ドイツの作曲家であるクリストフ・グルックもまた、ギリシア神話から影響を受けた。 トマス・ブルフィンチやナサニエル・ホーソーンなどの19世紀アメリカの作家たちは、神話は娯楽・教訓も提供すべきであると信じ、古典神話の研究はイギリス及びアメリカ文学の理解にとって本質的に重要であると考えた。ブルフィンチによれば、「今日生きている人々のなかで、いわゆるオリュンポスの神々を信仰している者は一人もいない。これらの神々は、いまや神学の分野ではなく、文学や趣味の領域に属している」。
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