18世紀の邸宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:12 UTC 版)
邸宅は16世紀にパワーズコート家の所領となり、やがて家門は繁栄し18世紀に初代パワーズコート子爵リチャードは建築家リヒャルト・カッセルス(英語版)を雇うと、中世の城に大幅に手を加えカントリー・ハウスにふさわしい改築をほどこすように命じる。 見晴らしの良い丘の頂上を建設地に選んだ建築家カッセルスは、それまで手がけた邸宅につきものだった陰鬱さを払拭した。パラディオ様式を厳格に踏襲し、ジョン・ヴァンブラ(英語版)なら「城らしい雰囲気」と呼ぶであろう趣きは、円形のドームをいただく塔を建物の両端に配した点にもっともよく表現された。 第5代パワーズコート子爵リチャード・ウィンフィールドは1821年8月、国王ジョージ4世の来臨を仰ぐ。1830年代にはキリスト教の聖書のいまだに実現しない予言をめぐる会議が何度か当所で開かれ、神学者ジョン・ダービや教役者エドワード・アーヴィングなどが出席した。一連の会議はパワーズコート子爵夫人テオドシアの後ろ盾を得て実現した。夫人の手紙や書類は2004年、パワーズコート予言会議(英語版)の概要を添えて再版された。
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