18世紀の歴史的背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/25 14:45 UTC 版)
「アル=ケ=スナンの王立製塩所」の記事における「18世紀の歴史的背景」の解説
当時、食塩は肉や魚などの保存に用いられていたため、相対的に需要の高い食品であった。ガベル(塩税)(fr)という塩の消費に応じた税金がかけられており、徴税請負事務局 (ferme générale) に徴収されていた。フランシュ=コンテには地下に岩塩の鉱脈があり、相対的に富裕だった。この地方には、塩用の井戸が多くあり、取り出した塩水をボイラーで沸騰させて塩を精製していた。そのボイラーを焚くために薪が必要とされ、近隣の森林から切り出されていた。当時、サラン=レ=バンやモンモロには多くの井戸やボイラーがあったが、薪の伐採が続いた結果、近隣の森林資源は乏しいものとなっていった。その結果、燃料はどんどん遠くから調達しなければならなくなり、コストが高くなっていった。さらに時が経つと、塩水濃度の低下にも見舞われた。一定期間、王属の専門家たちは « petites eaux » を使うことを研究していたが、1773年4月の御前会議 (le conseil du Roi) で取りやめることが決議された。また、サラン=レ=バンの谷あいに鹹水製造所 (bâtiment de graduation) を建てることも不可能になった。
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