18世紀のベルリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/03 14:04 UTC 版)
「ベルリンの行政区」の記事における「18世紀のベルリン」の解説
要塞は完成した頃には既に時代遅れになっていた。城壁の外には新しい市街地がさらに広がっていったためである。1710年には、これまで正式に独立した都市であったベルリン、ケルン(ノイ=ケルンを含む)、フリードリヒスヴェルダー、ドロテーエンシュタット(ドイツ語版)、フリードリヒシュタット(ドイツ語版)を統合し、「王国首都兼宮廷都市ベルリン (Königlichen Haupt- und Residenzstadt Berlin)」とされた。ベルリン税関壁(ドイツ語版)が囲むかつての城壁外の市街地を含み、18世紀のベルリンは以下の全10地区から構成されていた。 ベルリン(ドイツ語版) ケルン(ドイツ語版) フリードリヒスヴェルダー(ドイツ語版)(1662年設置) ノイ=ケルン(ドイツ語版)(1681年から計画的に建設) ドロテーエンシュタット(ドイツ語版)(1674年に「ノイシュタット (Neustadt)」として設置、1681年からドロテーエンシュタット) フリードリヒシュタット(ドイツ語版)(1691年設置) シュパンダウアー・フィアテル(ドイツ語版)(1701年までシュパンダウアー・フォアシュタット) ケーニヒスシュタット(ドイツ語版)(1701年まで「ゲオルゲンフォアシュタット (Georgenvorstadt)」) シュトラーラウアー・フィアテル(ドイツ語版)(1701年までシュトラーラウアー・フォアシュタット) ケーペニッカー・フィアテル(ドイツ語版)(1701年までケーペニッカー・フォアシュタット、1801年からルイーゼンシュタット)
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