18世紀の数学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 03:21 UTC 版)
フェルマー問題のいくつかは、続く18世紀に、大部分はオイラーの手で解かれていった。オイラーは二平方和問題の証明の過程で、いわゆるフェルマー数が常に素数となるわけではないことを示した。そういった成功とともに、オイラーはいくつかの誤りも犯しており、フェルマーの大定理の n = 3 の場合の証明に失敗している(彼の最初の証明は誤りである)。1782年には、新たな問題として平方剰余の相互法則が俎上に上がることになる。そして、アドリアン=マリ・ルジャンドル (1752 - 1833) により残りの問題も精力的に解かれていった。 19世紀の初頭には、それまで数学者が用いていた大仕掛けな道具立て(手法や表記法)も、単純な原理を導入することによって徐々に必要なくなっていった。「二つの平方数の和で 4 を法とする剰余が 3 であるようなものは存在するか」という有名な 3 に対する二平方和問題を例に取ろう。証明の内容としては「a2 および b2 を二つの平方数とする。a, b ともに偶数であるかともに奇数であればそれらの和の 4 を法とする剰余は 0 か 2 である。a が偶数で b が奇数とすると、偶数 a の平方は 4 の倍数であり、奇数 b は b = 2c + 1 と表せて、その平方は 4c2 + 4c + 1 となるので、b2 の 4 を法とする剰余は 1 となり、したがって所期の平方和の 4 を法とする剰余は 1 であるとわかる」といった感じであるが、ここでいくつかの道具立てが用いられている。 一つ目の道具は、ちょうどふたつの因数を持つものとしての素数である。 二つ目は、b を 2c + 1 と表すような「文字の置換え」である。適切に置換える文字を選ぶことによって、数学者はいくつもの整数問題を解決することができた。 三つ目は「除法の原理」であり、これによって平方や平方和を 4 で割ることが機械的・系統的に行える。 四つ目は例示には表れていないが、二平方和定理のオイラーによる証明に用いられた無限降下法である。これは「自然数解が在れば必ずそれよりも小さな自然数解があることを示すことで、そのような自然数解の存在が繰り返し示され、自然数からなる無限降下列が構成されることになるが、このようなことは不可能である」というものである。これはフェルマーの大定理の n = 4 の場合を証明するのに利用されている。 オイラーによる二平方和定理の証明にしたところで、古い伝統的な道具立てでは証明は長く技巧的なものにならざるを得ず、そのような方法では1世紀以上の努力を費やしてもフェルマーの整数問題を解決することはできなかったのである。
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