13~15世紀の彫刻
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「国立中世美術館」の記事における「13~15世紀の彫刻」の解説
この時代の彫刻もパリまたはイル=ド=フランス地域圏で収集されたものが多く、ノートルダム大聖堂のリンテル(まぐさ石)の一部『(最後の審判での)死者の復活』(13世紀前半)、ノートルダム大聖堂の翼廊の南側入口にあったがフランス革命時に国立中世美術館に収蔵した『アダム像』(13世紀中頃)、同じくフランス革命時に収蔵した、ルイ9世時代の「古典的」ゴシック彫刻の特徴がよく表れているサント・シャペルの十二使徒像、特に『聖ヨハネ』と使徒名が特定できない『哲学者の頭像』、『悲しげな使徒』(1243-1248年頃)があり、これら以外の使徒像は現在のパリ1区にあった巡礼者サン=ジャック(聖ヤコブ)病院の教会に置かれていたものである。 イル=ド=フランス地域圏全体では、端麗王フィリップ4世が祖父ルイ9世の列聖(1297年)の直後に建てたポワシー・サン=ルイ修道院の3体の天使像があり、天使はキリストの受難の象徴であるラッパ(大部分が破壊)といばらの冠を持っている。ポワシー・サン=ルイ修道院の彫刻は他にも『アランソン伯ピエール像』があり、ルイ9世の6人の子の像の一つである。 ピカルディ地方のサン=ジェルメール=ド=フリ修道院(フランス語版)の聖母礼拝堂の石造りの背障(祭壇の背後にある衝立; 1265年頃)には新約聖書の場面が描かれている。 この時期のイタリアの彫刻も多く、プラート大聖堂(イタリア語版)(トスカーナ州の都市プラートにあるロマネスク様式の大聖堂)の聖母像と聖ヨハネ像はキリストの受難像 (1220-1230年頃) の一部であった。アンドレア・ピサーノの息子 ニーノ・ピサーノ(イタリア語版)作の『受胎告知の天使(ガブリエル)』(14世紀後半)、聖ウルスラの1万1千人の処女の殉教者の一人とされる『サント・マビーユの胸像・聖遺物箱』(14世紀後半; シエナ)などがある。 小規模な象牙彫刻も多く、サン=シュルピス=ドゥ=タルヌのトリプティカ(三連祭壇画)にはキリストの生涯が描かれている(13世紀末)。一方、剣の橋を渡るランスロット、トリスタンとイゾルデなどの宮廷風恋愛の場面を描いた『愛の城の襲撃』と題する手箱(14世紀初期)、同じくトリスタンとイゾルデを描いた、鏡を入れる容器の蓋(14世紀中頃)などは、パリの世俗的な装飾品に分類されている。 最後に、中世末期(15世紀)の彫刻として、近年、ボワ=エルー城(セーヌ=マリティーム県, ノルマンディー地域圏)の『受胎告知』(15世紀後半)を所蔵した。 ノートルダム大聖堂の『アダム像』(13世紀中頃) サント・シャペルの『聖ヨハネ』(1243-1248年頃) サント・シャペルの『悲しげな使徒』(1243-1248年頃) ポワシー・サン=ルイ修道院のラッパ(大部分が破壊)を吹く天使像 (13世紀末) プラート大聖堂(トスカーナ)の聖ヨハネ像 (1220-1230年頃) プラート大聖堂(トスカーナ)の聖母像 (1220-1230年頃) キリストの生涯を描いたサン=シュルピス=ドゥ=タルヌのトリプティカ(三連祭壇画)(13世紀末) 宮廷風恋愛の場面を描いた『愛の城の襲撃』(14世紀初期) 神殿奉献の群像 (ブルゴーニュ, 14世紀末)
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