ヘルツェゴビナとは? わかりやすく解説

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ヘルツェゴビナ【Herzegovina】


ヘルツェゴヴィナ

(ヘルツェゴビナ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 14:40 UTC 版)

ボスニア (Bosnia) とヘルツェゴビナ (Herzegovina) の大まかな地域範囲図

ヘルツェゴヴィナ (Hercegovina/Херцеговина) は、現在のボスニア・ヘルツェゴビナ南部の歴史的名称。中心都市はモスタル

「ヘルツェゴヴィナ」という名前は、15世紀にこの地域を支配したスチェパン・ヴクチッチ・コサチャ英語版の称号である「聖サヴァ公英語版」にちなんだものといわれ、「」を意味するドイツ語のヘルツォーク (Herzog) やハンガリー語のヘルツェグ (herc(z)eg) に由来する名称である。聖サヴァ公の名称自体もセルビア正教会で最も敬愛される聖人「聖サヴァ」に由来する。

隣のボスニアと同様、6世紀末から7世紀にかけてこの地域にもスラヴ人が定住した。ヘルツェゴヴィナに相当する地域は古くはフムないしザフムリェ英語版と呼ばれていた。フムは1168年から1326年までセルビアの支配下にあったため、セルビア正教会の影響を強く受けた。

その後14世紀前半にボスニア王国の領域に組み込まれ、現在まで続くボスニアとの地域的な一体性を持つに至った。1483年にスチェパン・ヴクチッチによるオスマン帝国に対する抵抗運動が平定されると、ヘルツェゴヴィナ県が置かれてオスマン帝国の支配が確立することとなる。

19世紀後半に入るとムスリム地主に対するキリスト教徒の小作人による反乱が相次いで起こるようになる。1857年1861年に隣国モンテネグロの支援を受けた反乱が起こったほか、露土戦争の引き金となった1875年ヘルツェゴヴィナ蜂起ボスニアへも飛び火した。その後、1878年ベルリン会議によってオーストリア=ハンガリー帝国による軍事占領が認められ、帝国の大蔵大臣(共通蔵相)の管轄下に置かれた。1882年には占領に対する蜂起も発生している。

1908年、ボスニアとともにオーストリア=ハンガリー帝国に正式に併合された(ボスニア・ヘルツェゴビナ併合」を参照)。

関連項目


ヘルツェゴビナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 01:08 UTC 版)

ザドルガ」の記事における「ヘルツェゴビナ」の解説

以下の例は東ヘルツェゴビナ、ビレチャ・ルディネ郡のヴチニッチ家を中心としたザドルガ元にしたものである。 ザドルガ小さな国家の態を成しており、主権家族全体存在、その執行権年長の男らが勤め家長所有していた。通常家長はその家族中でも最年長の者が選ばれるが、能力によっては別の者が選ばれることもあり、女性勤めることもあった。家長家族財産の管理諍い裁定家族仕事割り当て決定することを執り行った。そのため、失敗があった場合地位悪用があった場合は他の人と取り替えられる事もあった。 主婦(ドマチツァ)は家の仕事を受け持つがそれは家長の母か妻が受け持つが、別の既婚女性が受け持つ事もあった。女性らは朝、男性らよりの早く起きて仕事行い、嫁は舅(スヴェカル)や姑(スヴェクルヴァ)に敬意を払わなければならなかったが、女性らが核家族に対して贔屓行なうために諍い生じる事もあった。しかし、女性らの地位低かったわけではなく、「家は土地持たず、女でもつ」という諺が存在するように母親姉妹らは尊重され保護されていた。 サドルガ内では老若男女問わず自らの役目を果たさなければならず、少年少女であっても大人と同じ仕事を果たすこともあった。 ザドルガ一種財産所有組合のようなものであったが、個人財産所有することも認められていた。近代におけるザドルガ法でもこれは認められており、その財産直接相続人相続されることとなっていた。ただし、この個人財産原因でサドルガの各家族独立することによりザドルガ崩壊することもあった。 ザドルガ血縁に基いていたため強い結びつき持っていた。そのため、男性側血縁(ムシュカ・クルヴ)、その中でも深い血縁(デベラ・クルヴ)、女性側の血縁(ジェンスカ・クルヴ)、浅い血縁(タンカ・クルヴ)という呼び方からも男性系の血縁重視されており、父系での相続優先されていた。また、父系と母系で甥や姪の呼び方異なり母方血縁父母母親以上にさかのぼる事はなく、母方又従兄弟同士結婚できたが、父方では7代以上さかのぼらないと結婚することはできなかった。

※この「ヘルツェゴビナ」の解説は、「ザドルガ」の解説の一部です。
「ヘルツェゴビナ」を含む「ザドルガ」の記事については、「ザドルガ」の概要を参照ください。

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