鹿島苗裔神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 16:38 UTC 版)
節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 表示 鹽竈神社 鹿島苗裔神の分布(宮城県域、論社含む) 鹿島苗裔神の分布(福島県域、論社含む) 鹿島神宮は東国開拓の拠点であったことから、その苗裔神(びょうえいしん)すなわち御子神が各地に形成された。『常陸国風土記』の時期には、すでに行方郡に分祠の存在が記されている。 『日本三代実録』の貞観8年(866年)の記事では、神宮司の言として陸奥国に苗裔神が38社あると記載されている。その内訳は次に示す通りであるが、具体的な社名は記されていない。 菊多郡 1、磐城郡 11、標葉郡 2、 行方郡 1、宇多郡 7、伊具郡 1、 曰理郡 2、宮城郡 3、黒河郡 1、 色麻郡 3、志太郡 1、小田郡 4、 牡鹿郡 1 また同記事では、陸奥国での鹿島神の祟りが甚だしいので嘉祥元年(848年)に宮司らが奉幣に向かったが、陸奥国入国は許されなかったという。これに関して、神宮の祭祀氏族が代わったため分社側が抵抗したと解釈する説がある。 さらに『延喜式』神名帳では、陸奥国条に「鹿島」を冠する神社として次の8社の記載がある(「陸奥国の式内社一覧」参照)。 鹿島苗裔神の一覧延喜式比定社郡名社名社名所在地座標黒川郡 鹿島天足別神社 鹿島天足別神社 宮城県黒川郡富谷町大亀 北緯38度22分02.43秒 東経140度55分37.40秒 / 北緯38.3673417度 東経140.9270556度 / 38.3673417; 140.9270556 (苗裔神:鹿島天足別神社) 曰理郡 鹿島伊都乃比気神社 (論)鹿島緒名太神社 宮城県亘理郡亘理町逢隈小山 北緯38度04分33.37秒 東経140度49分39.86秒 / 北緯38.0759361度 東経140.8277389度 / 38.0759361; 140.8277389 (苗裔神:鹿島緒名太神社) (論)鹿島天足和気神社 宮城県亘理郡亘理町逢隈鹿島 北緯38度02分31.61秒 東経140度50分36.59秒 / 北緯38.0421139度 東経140.8434972度 / 38.0421139; 140.8434972 (苗裔神:鹿島天足和気神社) 曰理郡 鹿島緒名太神社 (論)鹿島緒名太神社 宮城県亘理郡亘理町逢隈小山 (前記) (論)鹿島天足和気神社 宮城県亘理郡亘理町逢隈鹿島 (前記) 曰理郡 鹿島天足和気神社 (論)鹿島天足和気神社 宮城県亘理郡亘理町逢隈鹿島 (前記) 信夫郡 鹿島神社 (論)鹿島神社 福島県福島市鳥谷野 北緯37度44分3.85秒 東経140度28分3.70秒 / 北緯37.7344028度 東経140.4676944度 / 37.7344028; 140.4676944 (苗裔神:鹿島神社(論社)) (論)鹿島神社 福島県福島市小田 北緯37度42分26.25秒 東経140度26分5.23秒 / 北緯37.7072917度 東経140.4347861度 / 37.7072917; 140.4347861 (苗裔神:鹿島神社(論社)) (論)鹿島神社 福島県福島市岡島 北緯37度46分58.98秒 東経140度30分38.00秒 / 北緯37.7830500度 東経140.5105556度 / 37.7830500; 140.5105556 (苗裔神:鹿島神社(論社)) (論)鹿島神社 福島県伊達郡国見町 北緯37度52分41.26秒 東経140度32分47.32秒 / 北緯37.8781278度 東経140.5464778度 / 37.8781278; 140.5464778 (苗裔神:鹿島神社(論社)) 磐城郡 鹿島神社 鹿島神社 福島県いわき市常磐上矢田町 北緯37度00分46.52秒 東経140度54分26.93秒 / 北緯37.0129222度 東経140.9074806度 / 37.0129222; 140.9074806 (苗裔神:鹿島神社) 牡鹿郡 鹿島御児神社 鹿島御児神社 宮城県石巻市日和が丘 北緯38度25分26.56秒 東経141度18分29.25秒 / 北緯38.4240444度 東経141.3081250度 / 38.4240444; 141.3081250 (苗裔神:鹿島御児神社) 行方郡 鹿島御子神社 鹿島御子神社 福島県南相馬市鹿島区鹿島 北緯37度42分10.31秒 東経140度57分59.60秒 / 北緯37.7028639度 東経140.9665556度 / 37.7028639; 140.9665556 (苗裔神:鹿島御子神社) 以上の記載から、鹿島神が海岸沿いを北上して牡鹿郡(現・宮城県石巻市付近)まで進出した様子が見える。またその社名から、鹿島神の御子神として「天足別命」の存在も推測される。『延喜式』神名帳では香取神宮の苗裔神2社も見えるが、これら鹿島・香取苗裔神の存在は、大和朝廷の勢力が海岸沿いに北進する際に鹿島・香取両神の神威を仰いだことによると解釈されている。その具体的な事情としては、中臣氏の遠祖である臣狭山命が倭建命の東征活動に参加しており、陸奥地方に多く見える鹿島神、鹿島御子神の分布は中臣氏の先祖や部民関係者が東征活動に随行、従事したことによるものと見られる。これに関連する事象として、陸奥国一宮の鹽竈神社(宮城県塩竈市、北緯38度19分08.12秒 東経141度00分45.47秒 / 北緯38.3189222度 東経141.0126306度 / 38.3189222; 141.0126306 (陸奥国一宮:鹽竈神社(武甕槌・経津主両神を合祀)))においても武甕槌・経津主両神が祀られている。なお、鹿島・香取の分布には差があり、香取苗裔神2社は鹿島を飛び越す位置に鎮座する。このことから、初期段階には鹿島は外海(蝦夷)、香取は内海(香取海)を志向したとし、その後両神の神威が逆転したとする説がある。 そのほか、後世には武神としての崇敬により各地に鹿島神が勧請され、旧常陸国地域を中心として全国に多くの分祠が形成された(詳しくは「鹿島神社」を参照)。 鹿島緒名太神社(宮城県亘理郡亘理町) 鹿島天足和気神社(宮城県亘理郡亘理町) 鹿島御児神社(宮城県石巻市) 鹿島御子神社(福島県南相馬市) 鹽竈神社(宮城県塩竈市)
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