香取苗裔神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:13 UTC 版)
節内の全座標を示した地図 - OSM節内の全座標を出力 - KML 表示 鹽竈神社 香取苗裔神の分布(論社含む) 香取神宮は東国開拓の拠点であったことから、その苗裔神(びょうえいしん)すなわち御子神(みこがみ)が各地に形成された。『常陸国風土記』にはすでに、行方郡に分祠の記載が見える。 『延喜式』神名帳では、陸奥国条に「香取」を冠する神社として次の2社の記載がある。 香取苗裔神の一覧延喜式比定社郡名社名社名所在地座標牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社 (論)香取伊豆御子神社 宮城県石巻市折浜 北緯38度24分03.73秒 東経141度24分08.22秒 / 北緯38.4010361度 東経141.4022833度 / 38.4010361; 141.4022833 (苗裔神:香取伊豆乃御子神社(論社の香取伊豆御子神社)) (論)和渕神社 宮城県石巻市和渕町 北緯38度31分49.02秒 東経141度13分15.97秒 / 北緯38.5302833度 東経141.2211028度 / 38.5302833; 141.2211028 (苗裔神:香取伊豆乃御子神社(論社の和渕神社)) 栗原郡 香取御児神社 (論)香取御児神社 宮城県栗原市築館 北緯38度44分16.20秒 東経141度00分42.52秒 / 北緯38.7378333度 東経141.0118111度 / 38.7378333; 141.0118111 (苗裔神:香取御児神社(論社)) (論)合祀:鹿島神社 宮城県栗原市築館 北緯38度46分32.04秒 東経141度01分19.22秒 / 北緯38.7755667度 東経141.0220056度 / 38.7755667; 141.0220056 (苗裔神:香取御児神社(論社の鹿島神社)) 上記の香取苗裔神同様、鹿島神宮でも鹿島苗裔神が陸奥国に展開しており、『延喜式』神名帳には8社が見える。このことから、大和朝廷の勢力が海岸沿いに北進する際に、鹿島神・香取神の神威を仰いだものと考えられている。併せて、陸奥国一宮の鹽竈神社(宮城県塩竈市、北緯38度19分08.12秒 東経141度00分45.47秒 / 北緯38.3189222度 東経141.0126306度 / 38.3189222; 141.0126306 (陸奥国一宮:鹽竈神社(武甕槌・経津主両神を合祀)))において武甕槌・経津主両神が祀られていることも、その様子を表すものとして指摘される。 なお初期段階では、鹿島は外海(蝦夷)、香取は内海(香取海)を志向したとされる。その後、上記の香取苗裔神が2社のみながら共に栗原郡(現・宮城県栗原市周辺)に祀られており、牡鹿郡(現・宮城県石巻市周辺)を最北端とする鹿島を飛び越して北に鎮座する。これに関して、栗原郡の統治が可能になった時期が9世紀と見られる点や、弘仁3年(811年)から陸奥国鎮守府将軍として物部匝瑳氏(もののべのそうさうじ:下総国匝瑳郡関係氏族)一族が見える点、承和6年(839年)に香取神の神階が鹿島神に追いつく点、またその記事で「香取、鹿島」の順序で記載されている点から、物部匝瑳氏の活躍に伴う鹿島・香取神の神威逆転を指摘する説がある。 そのほか、旧下総国西部の利根川・江戸川沿い低湿地においては、10世紀以後に開拓されるにあたって香取神が産土神として勧請された関係で、多くの分祠が分布している(「香取神社」参照)。また、同じく経津主神を祀る上野国一宮の一之宮貫前神社(群馬県富岡市)との関連も指摘される。
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