高まる緊張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:42 UTC 版)
副総督のニコルソンは、4月26日までにはボストンの暴動のことを耳にしていた。しかし彼は、暴動のことも、また、イングランドでの名誉革命のこともなんら公表するための処置は取らなかった。ニューヨークで暴動が起きる可能性があるのを恐れていたのである。ロングアイランドにボストンの暴動の一報が届いた時、政治家や民兵の指揮官たちはかなり強引な姿勢を取るようになり、5月半ばまでに、多くの地域から自治領の役人たちが追い出された。時を同じくして、ニコルソンはフランスがイングランドに九年戦争(ウィリアム王戦争)の宣戦布告をしたことを知った。これにより、ニューヨーク北部のヌーベルフランスとの境界に、フランスとインディアンの連合軍が攻撃を加える恐れが出て来た。ニューヨークに駐屯する兵たちは、アンドロスの命令により、インディアンの活動に対処するべくメインに派遣されており、ニコルソンの部隊もやはり人手が足りなかった。ニコルソンは自分の兵ですら信用できないのに気づいていた。兵たちは、ポピュリズム主義者から、ニコルソンがカトリック的な統治をニューヨークに押しつけようとしていると吹きこまれていたからだ。インディアンの襲撃の噂に慌てふためくニューヨーク市民を鎮める目的で、ニコルソンは民兵を招集し、ジェームズ砦の陸軍駐屯部隊に合流させることにした。 ニューヨークの守りは手薄で、ニコルソンの評議会で、防備の改善資金として、輸入税課税に対する投票が行われた。このやり方は即座に反発を食った。多くの商人たちが、納税を拒否したのだ。特に反発した一人がジェイコブ・ライスラーだった。生まれのいいドイツ系移民で、カルヴィニズム信者であり、民兵隊の大尉でもあった。ライスラーは、自治領の統治への反対を声高に主張していた。ドミニオンの統治は、ニューヨークに「ポープリー」(Popery、カトリックの軽蔑的表現)を押しつけるものだと彼は見ており、ニコルソンに忠実な者たちを覆す役割を演じるつもりでいた。5月22日、ニコルソンの評議会は民兵たちの請願を受けた。民兵たちはニューヨークの防御を早急に改善することを訴え、また、ジェームズ砦の火薬庫への道順を知りたがっていた。後者のほうは拒否されたが、ニューヨークでは火薬の供給が不足しており、それに対する懸念が高まっていた。指導者たちが、より多くの供給を求めて、ニューヨークの町中を探し始めたため、その懸念はますます募った。
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