戦後ドイツでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 15:04 UTC 版)
「在欧アメリカ空軍」の記事における「戦後ドイツでの活動」の解説
第二次世界大戦後、アメリカとソ連は相互不信の状態が続き、次第に両国間で対立構造が生じた。ソ連は共産圏となったドイツ(後の東ドイツ)などから、西ヨーロッパに圧力をかけ始める(ベルリン封鎖)。事態を重く見たアメリカ側は、東ヨーロッパに向けて偵察飛行を展開した。 この偵察飛行では主に、写真撮影や地図作製などが行われた。1945年秋から1949年まで、中央ヨーロッパ、北アフリカ、大西洋諸国などに向けての偵察飛行は、在欧アメリカ空軍が行った。偵察飛行は、RB-17やRB-24などによって行われた。しかし、偵察飛行はソ連周辺部のほか、ソ連本土にも侵入していた。 1946年には、数度に渡ってソ連側がアメリカ機に射撃するという事件が起こり、アメリカとソ連の間では緊張が高まった。同年に当時のハリー・S・トルーマン大統領は、在欧アメリカ空軍に対して警戒態勢を高めるよう指示し、同年後半から1947年にかけて相次いで、B-29を西ドイツなどに配備している。 またこの間、在欧アメリカ空軍はドイツに対し物資の空輸などの支援を行った。この空輸作戦はベルリン空輸と呼ばれる。1949年3月に、雪が積もるヴィースバーデン空軍基地(西ドイツ)に、C-54がベルリン空輸に参加するため駐機し、作戦が開始している。アメリカ海軍とイギリス空軍の協力もあり、在欧アメリカ空軍は230万トン以上の食料や燃料、医療品を空輸している。 1948年3月17日には、アメリカなどの西ヨーロッパ諸国とソ連との間で高まる緊張状態に対応するため、NATOが設立される。それによって在欧アメリカ空軍も、NATO戦略防衛に基づいて兵力が強化されている。 1960年代にはフランスのNATO軍事機構からの離脱に伴い、フランス国内の基地から撤退した。冷戦終結後は兵力の削減が行われているが、湾岸戦争に際しては兵力を派遣しており、ユーゴ紛争にも参戦している。
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