戦後ドイツにおけるニュルンベルク裁判観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 15:25 UTC 版)
「ニュルンベルク裁判」の記事における「戦後ドイツにおけるニュルンベルク裁判観」の解説
ニュルンベルク裁判は戦犯個人、および組織の罪を裁いたものであったが、ドイツという国家自体については裁かれなかった。カール・ヤスパースはナチス・ドイツをナチ党による不法な簒奪によって生成された「不法国家」であるとみなし、ニュルンベルク裁判の被告となったナチス指導者達は政治犯ではなく、刑事犯罪者であると規定した。この考え方はドイツにおけるニュルンベルク裁判観の主流となり、裁判によって個人やナチス組織の罪が追及されたものの、ドイツ国民やドイツ国の「集団的罪」についてはこれを否定する傾向がある。 裁判中にドイツ国民に対して行われた調査によると、裁判で裁かれる各種犯罪について裁判で初めて知ったものの割合は当初三分の二であったが、終盤には80%を超えた。裁判開始の時点では70%の回答者が被告全員が有罪であると考えていたが、判決後には56%に減少している。また50%が判決は正当であると回答している。また西側占領地域で判決後に行われた国際軍事裁判の形式についての調査では、70%が正しいと回答していたが、4年後には70%が正しくないと回答している。これは少数のナチ党指導者を裁いたニュルンベルク裁判に対し、軍や企業と言った身近な組織が裁かれる印象をあたえたニュルンベルク継続裁判への反発があるとみられている。 また西ドイツの政界では戦犯裁判は「戦勝国による不当な裁き」との認識で語られておりこのため戦後のナチス犯罪の追及において「戦争犯罪」と「ナチス犯罪」を同一視することが障害となったため1960年代には両者は明確に区別されるようになった。
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