骨折により安楽死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:10 UTC 版)
2010年7月3日午後2時頃、優駿スタリオンステーション内の一般公開用のパドックから馬房に戻すためにスタッフが向かったところ、オグリキャップが倒れて起き上がれないでいたところを発見する。ぬかるんだ地面に足をとられて転倒したとみられ、その際に右後肢脛骨を骨折していた。直ちに三石家畜診療センターに運び込まれるが、複雑骨折で手の施しようがなく、安楽死の処置が執られた。オグリキャップ死亡のニュースは日本のみならず、共同通信を通じてイギリスのレーシングポストなどでも報じられた。優駿スタリオンステーションにはオグリキャップ死亡の真意を確認しようというマスコミやファン、関係者からの問い合わせの電話が相次ぎ、翌日午前1時30分まで問い合わせが続いた。
※この「骨折により安楽死」の解説は、「オグリキャップ」の解説の一部です。
「骨折により安楽死」を含む「オグリキャップ」の記事については、「オグリキャップ」の概要を参照ください。
骨折により安楽死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 08:29 UTC 版)
「ディープインパクト (競走馬)」の記事における「骨折により安楽死」の解説
2019年は例年通り2月のシーズン開始から交配を行っていたが、3月末になって首に痛みが出たため大事を取って種付けを中止した。残りシーズンの種付けは行わず、翌春に誕生予定の産駒は20頭前後になる見通しとなった。当初、首の痛みに対して検査、治療を試みたが痛みの原因が不明であった。そのため、アメリカ合衆国から専門の獣医師を呼びコンピュータ断層撮影 (CT)を行ったところ頸椎に不具合があることが判明した。7月8日・9日に開催されたセレクトセールにて検査を受けて、手術を実施することが公表された。 7月28日、患部の頸椎と頸椎の間を固定するという日本で初めての手術が行われ、術後の経過は安定していたが、翌29日午前に突如起立不能の状態となった。翌30日早朝のレントゲン検査で手術箇所とは別に頸椎骨折が判明。回復が見込めないと診断されたことから、同日、安楽死の措置が執られた。17歳没。 訃報を受け、JRAは8月3・4日の新潟・小倉・札幌の第11レースを「追悼競走」とし、「ディープインパクト追悼競走」の副題を付して開催。全国の競馬場および東京競馬場内にある競馬博物館では記帳台と献花台が、全国のウインズ (WINS)およびGate J. (新橋・心斎橋の2か所)において記帳台が設置された。実施された8月3日から9月1日までに、1834件の献花、3万9243件の記帳が集まり、後日オーナーの金子真人に届けられた。さらに、2019年11月24日の開催は「ディープインパクトメモリアルデー」と銘打ち実施され、この日に行われたジャパンカップには「ディープインパクトメモリアル」の副題が付けられた(詳細は第39回ジャパンカップを参照)。 フランスでもディープインパクト死亡のニュースは報じられた。パリチュルフ紙は訃報を受けた翌日、凱旋門賞出走時の写真とともに記事を一面で掲載し、「真のアイドル」と報じた。ジュールドギャロ紙は「Sayonara,Deep Impact」の見出しでトップ扱いで報道し、「日本において競走馬という枠を超えた特別な存在だった」と説明した。
※この「骨折により安楽死」の解説は、「ディープインパクト (競走馬)」の解説の一部です。
「骨折により安楽死」を含む「ディープインパクト (競走馬)」の記事については、「ディープインパクト (競走馬)」の概要を参照ください。
- 骨折により安楽死のページへのリンク