韓国・光州市の生家問題
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生家の場所をめぐっては、鄭氏宗親会などで構成された鄭律成記念作業会が「光州市東区不老洞163号」、南区が「光州市南区楊林洞79号」と主張、そのほか全羅南道和順郡とする意見もあり、関係者が鋭く対立していた。そのため光州市が「鄭律成先生生家考証委員会」を立ち上げ、2009年1月に東区・南区ともに生家とすると宣言、生家問題の収拾を図った。 2004年、光州市南区が生家記念作業を開始する。 2005年10月17日、鄭律成の生家は全羅南道・和順郡と光州の議員が主張。延辺大学教授の論文や戸籍謄本4部を証拠としてあげる。 2006年9月19日、鄭律成記念作業会が東区不老洞163号 のヒディンクホテル(現Bentley Hotel・벤틀리호텔)駐車場に「音楽家鄭律成先生誕生地」碑を建立。 2008年2月、「鄭律成記念作業会」が南区を私文書偽造などの容疑で訴える。 2008年10月、和順郡は、綾州小学校開校100周年を記念して、同小校内に鄭律成の胸像を建立する。 2008年11月、生家問題を解決するため、光州市が「鄭律成先生生家考証委員会」を組織する。 2009年1月29日、光州市南区楊林洞で「鄭律成路」の開通式が開かれ、南区庁長、区議会議員ら100人余りが参席。その場に「鄭律成記念作業会」関係者10人余りが押し寄せ、「南区が(生家の)証拠として唯一出している鄭先生の親筆履歴書は偽造されたもの」と抗議。南区職員と作業会関係者の間でもみ合いとなる。 2009年8月23日、「鄭律成先生生家考証委員会」は全体会議を開き、宗親会が主張する東区不老洞163号と、南区庁が主張する南区楊林洞79号の2箇所とも生家として認定することを決定。考証委員会は「出生当時に父母が生活していた場所、実際に出生した場所、出生後に育った場所、すべての関係者が生家記念作業を進めており、1914年当時、不老洞と楊林洞は同じ行政区域だった点などを考慮し、2箇所を生家と認定する」と明らかにした。また「不老洞と楊林洞の2箇所を合わせて『鄭律成成長区域』とし文化資源として活用する」と語った。 2015年7月3日、邱国洪・駐韓国中国大使が光州市南区の鄭律成生家跡を訪問する。 2015年10月27日、光州市と光州東区、光州南区、全羅南道・和順郡が鄭律成記念館建設等の作業を合同で推進することで合意する。 2015年11月2日 和順郡は、鄭律成が学んでいた綾州小学校の教室を復元し、胸像周囲を整備。 2017年1月17日、和順郡が鄭律成関連の史跡を観光名所として整備すると発表。8月には綾州面貫永里で鄭律成展示館の建設工事を開始する予定。 2019年1月30日、全南日報は、不老洞の生家は野外公演場と休憩空間などを備えた「鄭律成歴史公園」に、楊林洞の生家は「鄭律成記念館」になると報道。現在の所有者から購入して整備する方針。 2019年6月13日、全羅南道和順郡綾州貫永里で鄭律成展示館が開館。66㎡規模の藁葺きの家に脱穀機や釜、かめ置き場、蓄音機、鄭律成の写真などが整備、展示されている。 2020年5月24日、光州市は都市管理計画に関する決定事項を告示、鄭律成の生家跡2カ所に、歴史公園や記念館を造成、整備する方針を明らかにする。「東区不老洞163号」には歴史公園をつくり、広場や亭子、管理室などを配置する。2021年12月の竣工を予定。一方、「南区楊林洞79号」では、現地に建つ建物を記念館に改造、関連資料を保存展示する。光州関係者は、「生家敷地を購入して歴史公園として整備し、観光資源として活用、中国人観光客を誘致する計画」と語る。
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