離日後のマッカーサーの米議会証言とは? わかりやすく解説

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離日後のマッカーサーの米議会証言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 13:50 UTC 版)

連合国軍占領下の日本」の記事における「離日後のマッカーサーの米議会証言」の解説

1951年昭和26年4月19日ワシントンD.C.の上下院合同会議におけるマッカーサー離任演説より 「(前略戦後日本国民は、近代史記録された中では、最も大きな改革体験してきました見事な意志と熱心な学習意欲、そして驚くべき理解力によって、日本人は、戦後焼け跡の中から立ち上がって個人の自由人間の尊厳優位性献身する殿堂日本打ち立てました。そして、その後過程で、政治道徳経済活動の自由社会正義推進を誓う、真に国民代表する政府作られました。 今や日本は、政治的にも、経済的にも、そして社会的にも、地球上多く自由な国々肩を並べてます。世界信頼裏切るようなことは2度とないでしょう最近戦争社会不安混乱などに取り巻かれながらも、これに対処し前進する歩みほんの少し緩めことなく共産主義国内食い止めた際の見事な態度は、日本アジア趨勢に非常に有益な影響を及ぼすことが期待できることを立証してます。私は占領軍の4個師団をすべて朝鮮半島戦場送りましたが、その結果日本生じ力の空白影響について何のためらいもありませんでした結果はまさに、私が確信していた通りでした。日本ほど穏やかで秩序正しく勤勉な国を私は知りません。また、人類進歩に対して将来積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国もほかに知りません。」 「(中略)私は今、52年にわたる軍務終えようとしています。今世紀に入る前に私が陸軍に入隊したとき、それは私の少年時代希望と夢が成就した瞬間でした。私がウェストポイント陸軍士官学校)で兵士になる宣誓をして以来世界何度も向き変え希望や夢はずっと前に消え失せてしまいました。しかし、当時兵営で最も人気高かったバラード一節今でも覚えてます。それは誇り高く、こう歌い上げています。老兵は死なず。ただ消え去るのみ』と。 そしてこのバラード老兵のように、私もいま、私の軍歴閉じ消え去ります。神が光で照らしてくれた任務果たそうとした1人老兵として。 さようなら。」 1951年5月3日米国議会上院軍事外交合同委員会質疑応答より " Yes sir. In the Pacific we bypassed them. We closed in. You must understand that Japan had an enormous population of nearly 80 million people, crowded into 4 islands. It was about half a farm population. The other half was engaged in industry. Potentially the labor pool in Japan, both in quantity and quality, is as good as anything that I have ever known. Some place down the line they have discovered what you might call the dignity of labor, that men are happier when they are working and constructing than when they are idling. This enormous capacity for work meant that they had to have something to work on. They built the factories, they had the labor, but they didn't have the basic materials. There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack a great many other things, all which was in the Asiatic basin. They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.(後略)"

※この「離日後のマッカーサーの米議会証言」の解説は、「連合国軍占領下の日本」の解説の一部です。
「離日後のマッカーサーの米議会証言」を含む「連合国軍占領下の日本」の記事については、「連合国軍占領下の日本」の概要を参照ください。

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