集団移住までの主な経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:27 UTC 版)
1945年(昭和20年)9月 - 枕崎台風により甚大な被害を受ける(離島者の増)。 1951年(昭和26年)10月 - ルース台風により甚大な被害を受ける(離島者の更なる増)。 1952年(昭和27年)2月 - 奄美群島政府が県知事に対して「臥蛇島島民移住計画」を提案。 2月 - 臥蛇島を含む十島村下7島が日本に復帰。同時期、村が島民に対して移住を勧奨する。 5月 - 島民が知事に対して移転に反対という内容の「臥蛇島移転に関する申述書」を提出。 8月 - 台風6号と9号の来襲により干害と潮害が発生。 9月 - 台風10号により全戸が半壊の被害を受ける。 1964年(昭和39年) - 全国離島審議会の小委員会で「小島の大島への移住」に関する意見書が提出される。 1966年(昭和41年) - 経済企画庁から村長へ諮問。 1967年(昭和42年) - 村長が現地において説明会を行う。 1968年(昭和43年)8月 - 第3次離島特別振興事業計画策定の為、県調査団が各島を調査。 1969年(昭和44年)12月 - 島民が「離島対策による助成方の嘆願書」を村へ提出。 1970年(昭和45年)1月 - 村が助成願を県に提出、これにより県の1970年度予算に関係予算が盛り込まれる。 1月 - 村が「離島計画書」を作成。 1月 - 家屋測量・個人調書作成。 3月 - 村定例議会に於いて離島計画が公表。 3月 - 県離島振興課による現地実態調査。 4月 - 離島対策協議会を設置。 5月 - 第1回移住対策委員会開催。 6月 - 牛の運搬開始。 7月 - 集団移住。
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