階級の意味と地位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 03:57 UTC 版)
「ロシア市民階級第9等」の記事における「階級の意味と地位」の解説
一つ上の第8等の階級には1845年まで世襲貴族の権利が与えられていた(後に公務員として出世して世襲貴族になることはさらに困難になった)。このため第8等の階級に昇進するためには目に見えない壁があり、それを平民が乗り越えることは非常に困難だった。貴族は平民が昇進することを警戒していた。第9等の人の大半は終生この階級に留まり、これ以上の昇進は期待していなかった。彼らは嘲笑的に「永遠の第9等」と呼ばれていた。しかし、貴族の子供にはこのような壁は存在せず単なる通過点に過ぎなかった。 貴族には単なる通過点に過ぎず、中間層にとって平凡に出世した人生の終着点であり、下層市民にとって人生の成功であり夢であった。 このため第9等の階級は様々な文学作品や芸術において多様な意味を持っており、多くの作品で重要な登場人物に与えられる階級である。 18世紀の後半まで、この階級は自動的に教授と博士(ロシア帝国における最高学位であるДоктор наукのこと)に割り当てられていた。 1809年以降、高等教育を受け大学を卒業し学位を持つ、または階級に相応しい資格試験に合格した人に自動的に階級が割り当てられた。 官等表によると、第9等の階級は「アカデミーの教授」と「すべての医師」に与えられるが、ロシアの学者をそのような低い階級に割り当てたことは、ミハイル・ワシリエヴィチ・ロモノーソフからの批判を引き起こした。 彼は、ロシアで学位の称号が十分な魅力に欠ける理由の1つは、学者が上位の階級に上がれないためだと考えていた。「方や外国では、学者は大半が貴族でないにもかかわらず、5等‐4等程度の階級には昇進している。それゆえ、ロシアの貴族は自分の子供たちを、学者の道ではなく陸軍幼年学校に進ませたがる。もし、しかるべき階級が学問の発展への貢献に従って与えられさえすれば、学術は貴族にとって軍学と同様に魅力的な選択肢となるであろうものを」と訴えた。 1845年以降の多くの役人にとって、出世して第9等の階級を獲得することは彼らに一代貴族の地位と彼らの子孫に世襲名誉市民権を受け取る権利を与えたので、平民にとっては究極の夢だった。このため、ロシアの文学や民間伝承では、「たとえ一代貴族の地位であっても苦労して手に入れ、それを大変誇りに思っているが、風采の上がらない人物」という、第9等特有の人物像が形成されていった。 19世紀には、第9等は一般に、省庁の上級補佐官、議定書役員、上院のレジストラおよび翻訳者、副領事などの役職を歴任した。 1847年の第9等から第14等までの人数は50,871人であり、全公務員の49.5%を占めていた。地方の機関でのみ、彼らはやや独立した性格を持った地位を占めることができた。 1842年の「公務員規則」の第9等の年俸は銀貨なら75ルーブル (紙幣では262ルーブル)だった。 第9等の地位の人物への敬称はваше благородие(あなたの名誉)である。
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