阪神・淡路大震災当時とは? わかりやすく解説

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阪神・淡路大震災当時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 05:59 UTC 版)

神戸新聞社」の記事における「阪神・淡路大震災当時」の解説

1995年1月17日阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)が発生当時神戸新聞本社があった新聞会館被災ビル全壊という被害発生した。この当時神戸新聞デイリースポーツ新聞印刷機能については神戸市西区西神ニュータウン建設された「神戸新聞製作センター」に移動していたが、編集部門・制作部門など新聞発行心臓部ともいえるCTSホストコンピュータシステムの機器破損および高圧受電盤損傷し自社での原版製作が不可となった。 しかし1994年京都新聞との「緊急事態発生時における新聞発行援助協定」を結んでいたことから、通常よりも頁数が大幅に削減されたものの、この日に発行夕刊から無休新聞発行続け震災発生当時神戸惨状的確に伝えたその後惨状知った共同通信社協力京都市けいはんなプラザからのヘリコプターによる原版空輸開始され大日本スクリーン協力により他社出荷予定の特殊カメラを緊急調達してFAX送信され原版を特殊カメラ撮影して新聞印刷フィルムにするシステム立ち上がり時間短縮になった当時神戸新聞社ラジオ関西合同神戸ハーバーランド自社新社屋ビル神戸情報文化ビル・エコールマリン」が建設中で、1996年8月完成するまで同ビルに近い「ダイヤニッセイビル」の空きフロア暫定社屋とし(ただし、登記上で本社所在地同期間中西区室谷の製作センター移していた)、他にも、神戸市都心部第二本社設置して速いペースでほぼ通常と同じ30前後紙面発行まで復旧することができた。富士通全面協力し日本全国新聞社予備機材を提供してくれたため、システムの緊急構築成功したまた、デイリースポーツ日本経済新聞販売提携先の地方新聞社との連携無休発行をするが、カラー印刷出来なかったり頁数の削減などで、通常の発行復旧するまでに2か月以上を要したデイリースポーツは、原版作製不可能になったため、休刊覚悟していたとされるが、日経印刷全面協力により、同社システム使用して原版製作に着手日本経済新聞社協力得て紙面製作に成功した神戸本社印刷工場には、日本経済新聞紙面送信装置使用して大阪経由原版送信その後聖教新聞協力で、神戸新聞印刷工場への直接送信実施され発行至った。 これらの過程は、震災発生から満15年前日2010年1月16日フジテレビジョン系列ノンフィクションドラマ『神戸新聞の7日間』として放送された。

※この「阪神・淡路大震災当時」の解説は、「神戸新聞社」の解説の一部です。
「阪神・淡路大震災当時」を含む「神戸新聞社」の記事については、「神戸新聞社」の概要を参照ください。

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