阪神・淡路大震災の迂回路として
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「加古川線」の記事における「阪神・淡路大震災の迂回路として」の解説
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、JR神戸線が寸断され、播但線と共に迂回路線として非常に重要な役割を果たした。 加古川線は播但線よりも迂回距離・所要時間も短いが、ワンマン運転が主体の線区で列車の行き違いのため編成両数が制限されること、および谷川駅の福知山線と加古川線を結ぶ構内配線が非常用の分岐器しかないことから福知山線への直通運転ができず、線内列車の増発および増結で対応した。加古川線では西脇市駅で運行形態が分かれており、西脇市駅で乗り換えが必要であったが、乗り換えを解消して直通列車を設定し、震災前に9本しかなかった直通列車は同年2月6日には45本に増加し、ほとんどの列車で直通運転が行われた。また加古川駅 - 谷川駅間で快速も運転された。
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阪神・淡路大震災の迂回路として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:32 UTC 版)
「播但線」の記事における「阪神・淡路大震災の迂回路として」の解説
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、東海道本線・山陽本線(JR神戸線)が寸断され、加古川線(当時は非電化)と共に迂回路線として非常に重要な役割を果たした。 1月20日から姫路駅 - 和田山駅間ノンストップ快速がキハ65形の4両編成で1日2往復運転され、21日・22日はキハ181系による5両編成で3往復の運転を行った。23日からは姫路駅 - 和田山駅 - 福知山駅 - 新大阪駅間でキハ181系による直通快速が1往復設定され、27日からはノンストップ快速に智頭急行HOT7000系も投入して最大6往復、キハ181系は7両編成で、HOT7000系は5両編成で東海道・山陽本線が開通する3月31日まで運転された。 寝台特急も地震発生により運行が中止されたが、「あかつき」「なは」は、1月30日から播但線を経由して迂回運転が行われ、新製車両の甲種鉄道車両輸送も、3月14日甲種鉄道車両8本、特大貨物2本が迂回運転された。 また、定期列車ではJR西日本管内の気動車はもとより、五能線で運用されていた東日本旅客鉄道(JR東日本)南秋田運転所(現・秋田総合車両センター南秋田センター)に所属するキハ58系6両までもが応援運用されていた。 震災の復旧作業の進捗によって、JR神戸線の不通区間が徐々に短縮されていった中で、不通区間の東西では、それぞれに封じ込められた車両での運行を強いられたため、特に、不通区間の東側の網干や西明石などにある大規模な車両基地から切り離されたJR京都線・琵琶湖線では車両が不足していた。 しかし、回送ルートとして使用できる播但線は非電化で、明治時代に建造された古いトンネルが多く、開口面積が小さかったので、パンタグラフなどの付属機器を網干電車区(当時)で一旦撤去し、ディーゼル機関車の牽引により回送した後に、福知山運転所(当時)で取り外した機器類を取り付けて自力で宮原電車区(当時)などに回送された。なお、生野駅 - 新井駅間の生野トンネルは特に開口面積が小さく、トンネル内に敷設されたケーブルなどの付帯設備などに当たらないよう速度を落とし15 km/hで通り抜けた。 網干電車区からは、震災による損傷が復旧して出場し、所属区所に回送された車両とあわせて149両が、また不通区間の西側での輸送力増強のため、広島運転所と日根野電車区の103系8両が吹田工場(当時)から網干電車区に回送された。このほか、4月20日のダイヤ改正にあわせて新装された681系・207系も同様に播但線経由で回送された。
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