阪神・淡路大震災時の組成変更とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 阪神・淡路大震災時の組成変更の意味・解説 

阪神・淡路大震災時の組成変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:55 UTC 版)

国鉄201系電車」の記事における「阪神・淡路大震災時の組成変更」の解説

1995年1月17日発生した阪神・淡路大震災によって、東海道・山陽本線大阪駅 - 姫路駅間が不通山陽新幹線並行私鉄甚大な被害受けた発生翌日から徐々に復旧区間伸ばしていき、30日には他私鉄先駆け西側姫路方面)からの神戸駅乗り入れ2月20日には灘駅乗り入れ再開した東側大阪方面)は芦屋駅まで復旧されており、代行バス利用した阪神地区直通需要や、振替輸送などによる乗客相当数増加予想されラッシュ時における1列車あたりの輸送力増加させるために編成組み換え行った201系7両編成8本を用意しそのうち4編成から1両(サハ201形)を抜き取り6両編成に、残り4編成抜き取ったサハ201形組み込み8両編成とした。これによって6両編成4本、8両編成4本に組み替えられ、6両編成は2本連結した12編成として運用することで輸送力大幅な増加図った2月20日の灘乗り入れ再開あわせて西側の灘 - 西明石間で201系による12編成での運用開始した12編成(6+6の編成TcMM'MM'Tc'+TcMM'MM'Tc')は本系列では最長となる。鷹取塩屋舞子朝霧の各駅はホーム長さが8両分しかなかったが、朝ラッシュ時の上列車比べて下り列車乗客少ないため、12編成化にあわせて上りホームのみ有効長延長が行われた。12非対応ホームのある駅を通る下り列車では、快速運用にも投入された。 最後まで不通であった灘 - 住吉間も4月1日復旧し全線開通した201系変則編成3月31日運用終了後解消され、元の7両編成TcMM'TMM'Tc')に復元された。

※この「阪神・淡路大震災時の組成変更」の解説は、「国鉄201系電車」の解説の一部です。
「阪神・淡路大震災時の組成変更」を含む「国鉄201系電車」の記事については、「国鉄201系電車」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「阪神・淡路大震災時の組成変更」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「阪神・淡路大震災時の組成変更」の関連用語

阪神・淡路大震災時の組成変更のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



阪神・淡路大震災時の組成変更のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国鉄201系電車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS