阪神・淡路大震災時の組成変更
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「国鉄201系電車」の記事における「阪神・淡路大震災時の組成変更」の解説
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災によって、東海道・山陽本線の大阪駅 - 姫路駅間が不通、山陽新幹線や並行私鉄も甚大な被害を受けた。発生翌日から徐々に復旧区間を伸ばしていき、30日には他私鉄に先駆け、西側(姫路方面)からの神戸駅乗り入れ、2月20日には灘駅乗り入れを再開した。東側(大阪方面)は芦屋駅まで復旧されており、代行バスを利用した阪神地区直通需要や、振替輸送などによる乗客の相当数の増加が予想され、ラッシュ時における1列車あたりの輸送力を増加させるために編成組み換えを行った。 201系の7両編成8本を用意し、そのうち4編成から1両(サハ201形)を抜き取り6両編成に、残り4編成に抜き取ったサハ201形を組み込み8両編成とした。これによって6両編成4本、8両編成4本に組み替えられ、6両編成は2本連結した12両編成として運用することで輸送力の大幅な増加を図った。 2月20日の灘乗り入れ再開にあわせて、西側の灘 - 西明石間で201系による12両編成での運用を開始した。12両編成(6+6の編成・TcMM'MM'Tc'+TcMM'MM'Tc')は本系列では最長となる。鷹取・塩屋・舞子・朝霧の各駅はホームの長さが8両分しかなかったが、朝ラッシュ時の上り列車に比べて下り列車は乗客が少ないため、12両編成化にあわせて上りホームのみ有効長延長が行われた。12両非対応ホームのある駅を通る下り列車では、快速運用にも投入された。 最後まで不通であった灘 - 住吉間も4月1日に復旧し、全線が開通した。201系の変則編成は3月31日運用終了後に解消され、元の7両編成(TcMM'TMM'Tc')に復元された。
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