『日本沈没1999』の企画
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1998年9月30日に銀座東急ホテルで、松竹が1999年12月から公開する2000年の正月映画として『日本沈没1999』の製作発表を行なった。監督には大森一樹を起用。ストーリー面では、大森と小松両氏が1995年の阪神・淡路大震災の被災者でもあることから、その経験を活かそうと阪神・淡路大震災当時に見られた若者たちのボランティア活動やインターネット上の動向を盛り込もうと意欲を見せたほか、原作小説におけるD-2計画に重点を置いたものになる予定であった。また、先述の『新日本沈没』と同様に原発災害を盛り込む案も存在した。映像面ではスペクタクルシーンにCGを活用する方針を採用。光吉俊二、大原伸一といったスタッフの名前が挙げられ、パイロット映像も作成されていた。 総製作費12億円、配収目標30億円の大作になる予定だったが、業績不振の松竹は制作費を調達できず、1999年3月5日の記者会見で大谷信義社長が「検討中」とコメントし、同作の関係社員を異動させたことも明らかとなり、事実上の製作中止が確定した。結局、2000年の松竹の正月映画には大島渚の監督作『御法度』が公開された。
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