門司発福知山行き昼行普通列車「824列車」
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「山陰本線」の記事における「門司発福知山行き昼行普通列車「824列車」」の解説
かつて、山陰本線・山陽本線の門司駅 - 福知山駅間には日本一の走行距離を有する普通列車が運行されていた。鉄道ファンはその列車番号で824列車と呼んでいた。 そもそも昭和30年代まで、国鉄においては特急・急行列車の本数が少なかった半面で、長距離の普通列車が設定されていた。1956年11月のダイヤ改正当時では、東海道本線・山陽本線では東京駅 - 門司駅間運転の111・112列車(東海道本線区間で夜行運転、運転区間の営業キロは1102.8 km。「ムーンライトながら」の項目も参照)、日本海縦貫線では大阪駅 - 青森駅間には羽越本線を夜行で走る511・512列車、北陸本線と奥羽本線で2夜行になる513・514列車(運転区間の当時の営業キロは1055.6 km)が存在するといった具合である。 しかし、1961年10月に実施された「サンロクトオ」と呼ばれるダイヤ改正以降、国鉄では普通列車の乗客を新設ないしは増発した特急・急行列車に振り向けるため、これら長距離運転をする普通列車を削減するようになっていった。そして、その普通列車削減の流れが進んだ昭和50年代に、日本一の運行距離を有する普通列車となったのが、この824列車である。 1972年(昭和47年)3月15日ダイヤ改正以前には全線を直通する夜行列車826列車、829列車もあったが、夜行区間が急行に格上げ(「しまね」を経て夜行「さんべ」)されたり、夜行区間と昼行区間とが別列車に分断(夜行区間はのちの「山陰」)されて、この列車が残った。このため、本列車のスジ自体は山陰本線全通時にまでさかのぼる(戦時中は分断)が、日本最長となったのは、それまで最長であった大阪発新潟行きの普通列車が廃止された1972年10月のダイヤ改正 であった。 この列車は門司駅を朝5時30分頃に発車し、福知山駅にはその日が終わる頃に到着した。途中駅で特急・急行の待避や荷物輸送のための長時間停車をしていたこともあって、所要時間は約18時間半にもなり、表定速度は30km/hを若干上回る程度であった。また、客車はオハ35系・スハ43系・61系など手動扉の旧型のものが最後まで使用された。 その旧形客車の旅愁と運転区間が相まって、「乗り鉄」とも通称された鉄道旅行派のファンなどから注目される存在となり、宮脇俊三・種村直樹といった紀行作家による乗車記も書かれた。なお、上越新幹線開業に伴うダイヤ改正直前の1982年10月における、国鉄の長距離運行普通列車上位5位は以下のとおりである。 824列車:門司駅 - 福知山駅間 595.1 km 831列車:豊岡駅 - 門司駅間 535.2 km 726列車:浜田駅 - 大阪駅間 500.8 km 530列車:西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅) - 門司港駅(日豊本線経由)間 476.9 km 921・924列車「はやたま」:亀山駅 - 天王寺駅(紀勢本線経由)間運行 442.2 km しかし、客車の老朽化が進んだことと、合理化および動力近代化の一環として客車列車を気動車・電車化した上で運行距離を短縮する施策が取られるようになったことから、824列車は1984年2月のダイヤ改正で下関駅 - 出雲市駅間運行の824列車と、出雲市駅 - 福知山駅間運行の548列車に系統が分割された。その後、さらに列車の運行区間が細分化され、2006年時点では824列車が運行していた時間帯に該当する列車が存在しない区間もある。
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