鉄道省「燕」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:40 UTC 版)
「燕」は1930年(昭和5年)10月から東京駅 - 神戸駅間で運転を開始。最高時速95km/h、平均時速65.5km/hで、特急「富士」と比べて約2時間20分短縮し、東京駅 - 神戸駅間を9時間で結んだ。荷物車、三等二両、食堂車、二等二両、一等展望車で編成。その俊足から「超特急」と称された。運賃は三等6円30銭、二等12円60銭、一等18円90銭。 「燕」という列車名は、先行して運転されていた「富士」「櫻」と同様1929年(昭和4年)に行われた特急列車の愛称一般公募結果をもとに命名されたものである。1937年(昭和12年)7月には姉妹列車として、東京駅 - 神戸駅間に「鷗」の運転を開始したが、太平洋戦争の激化により、1943年(昭和18年)2月に「燕」は運転区間を東京駅 - 大阪駅間に短縮され、「鷗」は廃止、さらに同年10月には戦争激化に伴い「燕」も廃止された。なお、1936年(昭和11年)には後述の重軌条変更を山陽本線へ展開した後下関駅まで延長運転する構想もあり、C53形蒸気機関車牽引にて神戸からは姫路駅、岡山駅、広島駅のみの停車で、東京駅 - 下関駅を15時間で結ぶ計画がなされていた。 「燕」の運行に際しては、列車の高速安定性を確保するために重軌条の使用が不可欠であった。昭和初期、一部の幹線では50 kg/m軌条を使用していたが、多くの幹線では37 kg/m軌条が使用されていた。1928年(昭和3年)に八幡製鐵所で50 kg/m軌条の製造が可能となり、東海道本線全線の軌条を50 kg/m軌条にすることにより「燕」の運行が可能となった。また、食堂車と1等車にはより安定した走行を目指し、3軸ボギー台車を採用した。
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