鉄道省のガソリンカー
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「日本の気動車史」の記事における「鉄道省のガソリンカー」の解説
鉄道省の気動車路線距離年度距離昭和4年度 7.6 昭和5年度 28.9 昭和6年度 102.6 昭和7年度 88.4 昭和8年度 382.1 昭和9年度 1417.3 昭和10年度 1890.9 昭和11年度 2190.9 昭和12年度 2410.6 国鉄におけるガソリンカーの最初は1929年のキハニ5000形であるが、これは重量超過の失敗作であった。続いて1931年に20 m級の大形電気式ガソリンカー、キハニ36450形を試作したが、これも重量過大と低出力から失敗に終わった。 本格的に実用化されたのは、私鉄向け気動車設計で経験豊富な日本車輌などが開発に参画し、その設計ノウハウがもたらされた1932年開発の16 m級車・キハ36900形(後の41000形)からである。この41000形と、その設計を元にストレッチした1935年製造開始の19 m級車であるキハ42000形(後のキハ07形)は、合計200両以上も製造され、日本各地に導入されて好成績を収めた。そのため、太平洋戦争後の1951年から1952年にかけ同型車が追加製造されているほか、私鉄向けにも何例かのデッドコピー車ないし類似車が存在した。 戦前の日本では、私鉄気動車では20 - 105 PS級の輸入エンジンが主流であったが、国鉄ではあくまでも国産品を用いる姿勢を貫いた。そのため、日本で鉄道車両用エンジンの製造技術が未熟であった頃に製造されたキハニ5000形では船舶用のエンジンが改設計の上で用いられた。1930年代に入ると国鉄気動車は鉄道省が設計したGMF13 (100 PS) ・GMH17 (150 PS) の2種の国産制式ガソリンエンジンを用いるようになった。
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