過激派テロと観光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 09:16 UTC 版)
1990年代以来、サンボアンガ市は過激派テロ集団アブ・サヤフによる西洋人誘拐や誘拐未遂事件の現場と連想されるようになったが、これは記者が危険地帯から安全なサンボアンガに戻り、ここからニュースを発信した影響がある。サンボアンガにはフィリピン軍の南部司令基地があり、実際には一般的に治安はよく、テロとは無縁であった。 しかし2002年10月17日、ビジネス街で2発の爆弾が爆発し6人が死亡し150人前後が負傷するテロが起きた。また同時期、観光地ピラール要塞でも爆弾が爆発し、警備に当たっていた兵士1人が死亡した。2003年、300人のアメリカ軍軍事顧問団がフィリピン軍と行動を共にし、掃討作戦を開始した。またサンボアンガ市は米比両軍によるフィリピン南部対テロ戦の訓練場となり、アメリカ軍の新たな拠点と化した。また米軍特殊部隊がフィリピン軍兵士や警察に対する訓練も行った。 マニラのフィリピン政府はかつて外交官も含む外国人に対しサンボアンガから離れるよう勧告したことがある。またアメリカなど各国の外務省もこの地域への旅行に対し注意を喚起した。 フィリピン観光省は市長と共に、市の観光復興のためにサンボアンガの安全と魅力をアピールする活動を行っており、また、ここ数年警察や軍の実力も増し、外国人に対するテロは起きていなかったが、2010年8月5日空港到着ロビーがある建物の外側で、爆発が発生し、少なくとも2名が死亡、20名あまりが負傷した。死亡者のうち1名が爆弾を所持していたという報道もあり、爆弾テロの可能性を否定できていない。 2013年9月9日、モロ民族解放戦線が海岸部から侵入。沿岸部の集落を占拠した(en:Zamboanga City crisis)。住民1万人以上が避難し、フィリピン軍は200人の精鋭を送り込んで、12日には現地警察部隊とともに戦闘を開始した。しかし、モロ民族解放戦線は、20人ほどの市民を人質に取り、人間の盾としており、軍は思い切った攻勢に出られなくなっている。市街地では、戦闘の影響により火災が発生している。2013年9月13日、政府と武装集団との間で、停戦合意が交わされた。しかし、実際には9月14日も戦闘が続き、9月15日には休戦協定が決裂したと発表された。結果的に戦闘は、9月を通じて行われ政府(軍・警察)側がモロ民族解放戦線を圧倒する形で終了したが、期間を通じて住民約10万人が郊外へ避難する事態となった。
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