過激派の台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:10 UTC 版)
このころフランス軍は敗北を重ね、食料品の高騰や買い占めが激しくなり、貧民の暴動が起こった。これに乗じて過激派の各党派が最高価格制による物価の抑制、買い占め禁止法、買占め人の処刑などの非常手段を要求して、国民公会に圧力をかけた。1793年7月10日に公安委員会が改選され、平原派が後退した。7月27日にロベスピエールが公安委員会に迎えられた。内外の情勢はさらに絶望的になり、9月5日に過激派の中の最大勢力のエベール派が群衆を動員して国民公会を包囲した(9月5日の行進)。過激派は「反革命容疑者の逮捕」「食料調達のための革命軍の編成」を要求した。このときは平原派は発言せず山岳派が議論を闘わせたが、ロベスピエールを初めとして山岳派は群衆に屈して国民公会と公安委員会がその政策を実施させられた。
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